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帰宅した家主は、幸也にも聞こえるくらいの大きな溜め息を吐いた。
「ごめん、すっかり忘れてたよ……」
頭を掻きながら男は幸也に近付いてくる。そのまま幸也の目の前までくると持っていた鞄の中からカードケースを取り出し名刺を渡した。
「来週からだと勘違いしていた……待たせてしまっただろうか?」
幸也は全く状況が理解ができず、渡された名刺に視線を落とす。そこに書かれていたのはリラクゼーションサロンのオーナーという肩書きと阿部成哉という名。
「書類も手違いでまだ届いてないみたいなんだが、君、名前は?」
何も疑うことなく話しかけてくる阿部という男に、幸也はこの状況を必死に考える。恐らく誰かと勘違いをしているのだろう。それでも一体誰と勘違いをしてるというんだ? いきなり見知らぬ男が部屋にいたんだぞ? 不審者以外考えられないはずなのに……と、返事に困りながらも聞かれた名前は答えようと「早乙女幸也です」と馬鹿正直に名乗ってしまった。
「早乙女君ね……幸也って呼んでもいいかな? お手伝いさんって言うからてっきり女性が来るとばかり思っていたよ。歳の近そうな男の人で嬉しいな。俺のことも好きに呼んでいいから。よろしくね」
急に人懐こい笑顔を見せ、少し砕けた話し方に変わった。きっとこの男も緊張していたのだろう。それでも幸也はやっと自分が置かれている立場を理解できたことにほっとしていた。
「あ……あの、阿部さん、勝手にお邪魔してしまいすみません」
「え? 構わないよ。前任の方からの引き継ぎだって聞いてるし、いや……日にち勘違いしてたからちょっとびっくりしたけどね」
幸也はポケットの上からそっとナイフを撫でる。これを出して脅さなくて本当に良かった……自分はツイてる。そう思い、やっと幸也にも笑顔が溢れた。
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