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まるで親しい友人のように
「ねえ、幸也。俺のこと阿部さん……じゃなくて成哉って名前で呼んでくれないかな?」
幸也がこの家に通うようになり二日目のこと。夕食の支度をする幸也に向かって、少し照れ臭そうに雇い主である阿部が言った。
あの時幸也はピンチを免れたものの、そのままずるずると簡単な契約を交わせられ、家政婦の真似事をする羽目になっていた。
「成哉……さん。でもなんか抵抗ありますね。名前で呼ぶのは」
あくまでも雇用関係にある相手のことを、親しみをもって呼ぶのには抵抗があった。ましてやそれは偽りの関係であって、正規の関係ではない。「来週からだと勘違いしていた」という成哉の言葉が正しいなら、きっと数日後には本来来る予定だった本当の「お手伝いさん」が来てしまう。こんな事をせず一刻も早くこの場から逃げ出さなくてはならないのに、幸也には中々それができないでいた。
居心地が良すぎるんだ──
あの日初めて会った運命の時。幸也にとっては絶体絶命の大ピンチだったはず。それなのに目の前のこの男は不法侵入の不審者に向かって笑顔を見せ、お手伝いさんだと言って雇ってくれた。歳が近く同性だということもあり、まるで親しい友人のように接してくる。あまり友人もいなかった幸也にとって、色々とリードし会話を楽しんでくれる成哉の存在は有り難いと思ってしまった。部屋の鍵も変えたからと言って、幸也のために新たに合鍵も作ってくれた。聞けば給料もだいぶ良い。元来いい加減な性格の幸也は深く考えずにそのまま成哉の「お手伝いさん」として振る舞いながら、逃げ出すタイミングを考えていた。
「抵抗あるかぁ。せっかくの縁なんだよ? 友達として接したらダメかな? 俺としてはここに住み込みで働いてもらってもいいって思ってるんだけどな。幸也の作る料理が美味すぎて……」
「それって飯がうまいってだけじゃないですか。でもそう言ってもらえるのは凄く嬉しいです。料理するの、俺好きだから……」
出来立ての夕食を頬張りながら成哉は何度も「美味い」と呟く。幸也にとって自分の作った料理を誰かに食べてもらうということも初めてのことで、嬉しくて心がちょっと擽ったかった。
掃除洗濯などの家事は正直苦手だ。でも成哉の部屋は物も少なく生活感がなかったから、これといって家事が得意ではなくてもなんとかなっていた。成哉もそれほど気にするようなタイプではないらしく、掃除が行き届いていなくても気にする素振りは見せなかった。幸也を雇った経緯を見ても、成哉もどこか大雑把でいい加減なところがあるのだろう。だからこそ唯一の趣味みたいになっている料理が上手だと褒めてもらえることが救いだな、と幸也は心底思った。
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