第一章 『心のドア』

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「こらこら、まだそんなことを言ってる。還暦を迎えた爺をからかってはいけないよ。僕に早く茜ちゃんの花嫁姿を見せておくれ」  はい。まったく相手にされていませんね。  私はけっこう本気だったけれど、恩人の家庭を惑わせることはしたくなかったので、いつも軽口めいた口調だけで好きと伝えていた。  まぁ、私を幼少から知っている男性から見れば、私はいつまでも娘みたいなもの。女性として見られることはないと分かっている。 「あはは。そうとう先の話になると思いますね」  相当どころか、永遠にないと思います。  先生は苦笑いをして、場を和らげてくれた。 「ところで、今日はお近くでアポイントのお帰りだったのですか?」 「あぁ、日本橋で昔の知人……いや、ずっと見守ってきたご婦人の訃報があってね。通夜の前に、私一人でそっと別れを告げてきた帰りだったんだ」  日本橋なら確かに近い。私の住まいの最寄り駅、浅草橋駅からは電車で十分もかからない。立ち寄るにも無理のない距離だと思った。  でも、昨夜から訃報の話ばかりだ。誰にでも起こりえる永遠の眠りは仕方のないことだけれども。  どのような状況だったかは知る由もないが、弁護士が通夜の前に弔事に伺ったと云うことは、先生が前に弁護を請け負った方なのかも知れない。 「そうでしたか。そのご婦人にお悔やみを申し上げます。先生も弔事へのお出かけ、お疲れさまでした」  私は深く頭を下げてお悔やみを伝えた。  先生は目を閉じて頭を垂れ、故人のご冥福を祈るようだった。  
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