犯行の直前

1/1
前へ
/92ページ
次へ

犯行の直前

 その少女は慌てて体育館の入り口からUターンをしてきた。  すでにバスケ部の練習は終わってしまったらしく、ボールの弾む音は聞こえて来なかった。  だとすれば、彼は制服に着替えるため、部室に移動していることだろう。  間に合えばいいけど。  けれども、もうだいぶ遅くなってしまった。  部室に残っているかどうかも怪しい。  そんなことを考えながら、少女は慣れないダッシュの連続に息を切らしていた。  結局、彼は少女の思った通りの場所にいた。  つまり、部室に戻っていた。  部員一人一人の名前が書かれたロッカーと、今月末に行われるインターハイのスターティングメンバーの名前が書かれたホワイトボード、そして、部屋の中央に置かれた細長いベンチ。  激しい練習で疲れ切っていたのか、彼はそのベンチに仰向けになって眠りこけていた。  汗をかいたままのユニフォームを脱いでもいない。  いくら七月でも油断すれば風邪を引いてしまう。  心配した少女は、やや汗の匂いがする男子バスケ部の部室に初めて足を踏み入れる。  他の部員たちがすでにいなくなっていたことも、少女の行動を後押しする原因になっていた。    狭い部室。寝ている彼。少女を見守る者は誰もいない。  その状況が訪れた時、少女の心に魔がさした。  そっと足音を忍ばせて、彼の唇に視線を合わせる。  少女の心臓は、全力で駆けていた時よりも激しく暴れ回っていた。
/92ページ

最初のコメントを投稿しよう!

105人が本棚に入れています
本棚に追加