第一章(2)…… 居酒屋の中年男

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 正面で、分厚い金属を甚大な力で押し潰すような強烈な音が立つ。続いて左右から回り込み、不快な鳴動が狭い空間で幾重にも反響する。  思考力を奪われる。頭の中に白い霧が立ちこめていくようだった。  ただ身をすくめ、耐えるしかなかった。  圧縮され、限界までにひしゃげる低音は急激に音階を上げていく。  ひときわ音域が高まるにつれ空気が共振を起こし、肌を、肉を、内臓を、心臓を激しく震わす。  高音から可聴の域を越える。ふいに無音の震えが途絶えた。  美しく、透明に澄んだ音域が訪れ、場の空気が変わる。大気を尖らせてなおも攻撃を続けようとする空間を、音律が裏から表に返し、包み込んで小さく縮めて平らかに落ち着けていった。  服を着ているのに透過して、清冽な冷気が肌を撫でる。静電気に似た感触。真正面から背後へと抜け、刺激で身震いが起こる。  奇怪な現象をすべて消し戻し、やがて微かな名残りと化す。  きれいな金属音を放って弾け——、  四散して、ついに霧消する。  我に返り、おそるおそる目を開いたときには、正常が映った。 「——え」  間の抜けた声が転げ出た。拍子抜け、まさにその言葉の意味を噛みしめる。  あんなに凄まじい破壊の音がしたのに、周囲は無傷のまま、そこに在った。  換気扇のモーターと風切り音がかすかに響いている。 「なによ、今回はほとんど戻したから、なんともないでしょ」 「……もどした」  腰に両手を添え、アカネがあきれ顔でこちらを見やり、なにまだ呆けてんのよ、と言う。  頭に霞みがかかっている。 「あれ——って、……やっぱりさっきオレが視た霊?」  左右に数回、頭を振って血の巡りを戻す。次第に思考が冴えてくるのを感じた。  そうねぇ、とアカネが左頬に手を当てて考え込む。 「あの場所で、憂さ晴らしに自殺でもしちゃったのかもよ。ブラックな仕事量で病んじゃったとか、職場イジメにあったとか」  アカネの思いつきは不穏だ。まさか、死人が出た場所を客に使わせるものだろうか。 「それじゃ死後も店に縛られてうろついてるの、おかしくない? いまだに仕事こなしてるつもりっぽかったし」 「じゃ勤務中に、ふつうに発作起こして病院で息絶えでもしたんじゃない? 本人は気づいてなくて、まだ働いてるつもりなのよ。よくわかんないけど」  ふつうって、何だ。
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