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降りていくうちに淡い水色だった周囲は、やがて濃い青と緑を混ぜた色に変わり、藍から紺へと沈み、闇へと続く。アカネが顔を覗き込んでくる。無音の世界に、自分の鼓動が水を通して広がるように感じた。
平静な心臓の音が聞こえる。呼吸も楽にできる。穏やかなようすが、ここはこわくないと告げてくる。
アカネの身体は肌の内側から淡く光を発し、周囲をぼんやりと照らし出す。
透明な眼差しが微笑みで細まる。肌も服も色を失って、仄暗い表情は青白く、深海で発光する生物のようだった。
いつしか奥底に到達し、漆黒の底に立っていた。降りる先が無くなって、平行に歩き続けるしかない。
ここまではいつも同じ。このあとは真っ暗な中をアカネに誘われて歩き続ける。戻ろうとすると引き留められたり、まとわりつくアカネを追い払ったりと、かまわれるままに時間を過ごす。そのときによって彼女の行いはすこし変わるが、ふわふわと漂うような、穏やかな心地でアカネを眺め、やがて目覚めの時を迎える。
しかし、今のアカネはこちらの手を引いて、さらに真っ黒い闇の底へ潜ろうと急かしてくる。
足元に広がる障壁。上と下を隔て、行く手を阻む。アカネの身体だけが通り抜けて闇に消え、自分が立つ場所から更に奥へ進めるのがわかる。
ひざまづいて、足場を確認する。
小さな手で足元を払うと、大地は細かな黒い粒子となって渦を巻きながら舞い上がった。時折、泡のように小さな光の粒が立ちのぼり、上空へと消えていく。黒いさざ波から顔を出しているアカネに片手を取られ、気づくとじわじわと黒い粒子の内に腕先がめり込んでいく。
見ているうちに自分の腕――、細い子どもの腕が闇に飲まれて消えた。
底が抜けるような感覚に包まれる。急激にバランスを崩し、横倒しになる。あ、と思った瞬間、自分がいるこちら側とアカネが潜るむこう側を隔てる足元が崩れて、身体が沈んだ。決して忘れられないにおいが鼻を突く。
記憶が目前に開ける。落ちる。落水したときの衝撃はなかった。
猛烈な圧力で押し流される。泥の混ざった、濁った水の臭い。耳孔に水が入り込み、逆巻き、轟く音がこもってよく聞こえない。
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