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左耳に楽しげな女の声が届く。気を引くように左肩の上に置かれた両手、たおやかな所作を見せる細く、白い指。期待からか、ピアノでも弾くように跳ねている。
まだ一口しか飲んでないんだけどなと思うが、しかたないとあきらめる。ノーの返答は彼女には通らない。
さりげなく左手に持つグラスを軽く持ち上げると、待ち構えたかのように、視界の左端から人影が身を乗り出してくる。
誰にも気づかれず、頭の上から軽く腰を折り、見下ろす姿。流水が斜めにつたい下るかのような、優美な物腰。
緩く波を描く明るい色の髪が、ふわりと舞い落ちてほのかに香る。白い肌に整った横顔、つややかな色の唇が目の端に見える。本来ならば重力があるかぎり無理な姿勢でも、軽やかにこなす。人とはしぐさが違う。
そして、いつも思う。なんだろう、この匂い。甘く、懐かしいような、かすかな痛みが胸に残るような。
彼女が手をついた肩に、にじむような微かな加重がかかる。服越しでも伝わる、ひんやりとしたほんのわずかな重み。だが、他人からはただの幻想にすぎない。
重力を無視した位置から顔を下ろし、掲げたグラスに軽く口をつけるのを、修哉は視界の左横に見ていた。
本当に美味そうに、幸せそうに呑む。これで彼女の機嫌がとれるなら容易いものだった。
口もとをほころばせた彼女が「美味しい」と耳元でささやくのを聞く。
ふと彼女が顔を向け、こちらを眺めているのがわかる。だが、視線を合わせるわけにはいかなかった。目の端でとらえた表情は大輪の花のように華やぐ。
グラスを下げ、口に運ぶ。
味が変わってしまった冷たい液体が、喉を通っていった。
わずかばかりの酒の香と気の抜けた味が舌に残る。美味くはないが、残すわけにもいかないから一気にあおる。
毎度、どういう反応でこんな変化が起こるのか不思議だった。ひとたび彼女が口をつけると、すぐさまアルコールが消失してしまう。
たまに欲しがる食べ物の味はさほど変わらないのにな、と思う。液体のほうが単純だからだろうか。それとも彼女自身の好みの問題か?
間違いなく、酒のほうが好きそうだもんな。
傾けたグラスのなかに残る氷をひとつ、口に入れてガリガリと噛み砕きながら考えていた。
とにかく気を配っていないと見たくないものまで視てしまう。深酔いするとまずいから、アルコールが消えるのはそう悪くないと理解している。相手は気を引こうとさまざまな手を使ってくる。そのせいで今も、ちっとも会話に集中できていない。
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