出来る限りのおめでとうを

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『お誕生日おめでとう、20歳の未和(みわ)。産まれた時はテッシュの箱くらい小さかったあなたも、もう立派な大人なのね。でも、無理に大人ぶらなくていいのよ。悲しい時は泣いて良いし、辛い事があったら頼ってね。未和が何歳になっても、母さんにとっては永遠にあの頃のまま、愛おしい子どもなんだから』  2月2日の朝、私は昨年のこの日と同じように和室の茶箪笥(ちゃだんす)を開けた。  昨年よりも木が痛んだせいか、少し閉まりの悪くなった棚に入っていたのは『20歳の未和へ』と書かれた母からの手紙だった。  成人を迎えた私宛ての母からの手紙は、昨年、19歳になった私に向けられた手紙よりも短い、便箋たった4行程の言葉のみだった。 「最後の手紙なんだからさ、もうちょっとくらい長く書いてくれても良かったのに……」  なんて、叶うはずもない願いを吐くと、自然に頬が濡れた。  初めて誕生日の朝、この茶箪笥から母の手紙を出したのは1歳の頃。それから20年続いた習慣も今日で終わりだ。  棚には他にも便箋が入っているのだけれど、それらは使われなかった白紙の物だから、この手紙が、今は亡き母から私に宛てられた最後の手紙だった。  母の病気が発覚したのは、私を授かって間もなくした頃で、母が亡くなったのは、私が産まれて半年にも満たない頃だった、と父から聞いた。  母は、末期の癌だったらしい。  我慢強くて、頑張り屋さんだった母が倒れた時、もう癌は最初に発症したであろう部分を超え、リンパ節にまで転移してしまっていた。  だから、運ばれた病院で医者から、これ以上の治療は出来ない、と告げられたそうだ。 「母さんが病気だと分かって泣いた?」  聞いた私に、父は苦笑した。 「父さんは泣いたけど、母さんは笑ってたよ。じゃあ、死ぬまでに未和の為に出来ることをたくさんしなくちゃねって」  母さんの思い出は何もないけれど、その話を聞いて、私は癌と闘いながら病室で一生懸命、机に向かい、私に宛てて手紙を書く母の姿を見た気がした。
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