「ありがとう」

2/8
前へ
/8ページ
次へ
先週末のこと。 俺はそれまで勤めていた広告代理店を辞めた。 まるで追い出されるかのようにして。 週明けの朝のこと。 課長から呼び出された俺は、唐突に異動を言い渡された。 それは、あからさまな左遷だった。 俺は所属する営業の部署にてトップの業績を挙げ続けていた。 それなのに、いきなり左遷を告げられるだなんて納得できる訳などない。 頭に血が上った俺は、食って掛かるようにして課長に説明を求める。 「俺はこの課でトップの成績じゃないですか!  他の連中ならともかく、  何で俺が左遷なんですか!」 課長は何も言わずに視線を落とし、呆れたような溜め息を吐く。 課長のその態度に苛立った俺は、更に声を荒立てて課長へと問い掛ける。 「俺が左遷ってことなら、  課長だって当然左遷ですよね?  この課の連中も俺より業績が悪い訳ですから、  みんな左遷ですか!」 そして、俺はフロアの方へと振り向く。 課員達が机を並べているフロアはシーンと静まりかえっている。 俯いている奴がいれば、素知(そし)らぬ顔でパソコンへと向かっている奴もいる。 俺の胸に沸々(ふつふつ)と怒りが湧き上がる。 何だよお前ら、他人事みたいな顔をしやがって。 散々お前らの面倒を見てやっているこの俺が、こんな理不尽な目に合わされてるのに知らん顔かよ。 俺はフロアを見回す。 よく面倒を見てやっている後輩の迫田の姿が目に入る。 怒鳴るようにして迫田に問い掛ける。 「おい、迫田!  お前もトバされるのか?  お前の仕事、  俺がいつもフォローしてやってるよな?  俺がトバされるくらいなら、  お前なんてクビだよな?」 迫田は何も言葉を返さずにソッポを向いた。 何だ、無視かよ! 迫田の態度に苛ついた俺は大袈裟に舌打ちをする。 そして今度は迫田の向かい側の席に座る近藤へと問い掛ける。 「近藤、俺がトバされるんならお前もだよな?  お前の資料作り、  俺がいつも指導してやってるだろ?」 近藤は俺の問い掛けに言葉を返すことは無かった。 あろうことか、聞こえよがしに舌打ちをした。 近藤の反抗的な態度に俺は思わず言葉を失う。 しかし、そんな態度を示したのは近藤だけではなかった。 他の後輩達も聞こえよがしに舌打ちをしたり、あるいは敵意を込めたかのような冷ややかな視線を俺へと投げ掛けてくる。 いつになく反抗的な後輩達の態度に、俺は思わず狼狽える。 そんな俺の耳に、吐き捨てるような課長の声が飛び込んで来る。 「そういうところだよ。  高圧的で攻撃的、そして自意識過剰。  君のそんな態度にみんなウンザリしているんだ。  君が独りで偉そうにしているから、  この課全体として  モチベーションが下がってしまっているんだよ。  だからだ、もうこの課から出て行ってくれ。  異動先の部署が嫌なら、  もう別に我が社を辞めてくれても構わない。  君みたいな優秀な人材なら、  別に我が社でなくても引く手数多だろうからね。」 課長のその声色は、これまで聞いたことが無いほどに冷ややかだった。 そして、その冷ややかな声色には静かな怒りが込められているかのようだった。 それからは瞬く間に事は進んでいった。 理不尽な異動に抗議する俺に対する会社側の態度は冷淡そのものだった。 破れかぶれになった俺は、辞意を仄めかしつつ処遇の改善を迫った。 けれども、何とか譲歩を引き出したいという俺の目論見(もくろみ)を裏切るかのように、退職の手続きは手際良く進められて行った。 それは、予め準備されていたかのように。 そして、俺はその週のうちに、七年間勤務していた広告代理店を退職した。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加