「ありがとう」

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追い出されるかのようにして広告代理店を去った俺の周りからは、日頃から付き合いのあった友人や後輩達も次々と離れていった。 大学時代から付き合いがあった後輩は、電話口にて吐き捨てるようにこう告げた。 「大学のサークルで目立ってて、  そして大手の広告代理店でも  花形部署に配属されてたから  利用価値があるかもと思って  先輩と付き合ってましたけど、  今の先輩ってタダの無職ですよね?  クビ同然で追い出されたんですよね?  俺、ホントは先輩のこと大嫌いだったんすよ。  いつも偉そうだし自分勝手ですし。  だからもう関わるのやめますね。」 友人や後輩だけでなく、交際していた女も俺の元から去って行った。 広告代理店を辞めたことをメッセージで彼女に告げた途端、別れるとだけの返事を寄越し、それからは全く連絡が付かなくなった。 そんな具合にして、会社を辞めた途端にほとんどの人間関係が消え失せてしまった。 失ったのは仕事や人間関係だけでない。 住まいも引き払わなければならなくなった。 俺が住んでいるマンションは都心部にあるため、その家賃は相当に高い。 会社勤めをしている時は多額の家賃手当も支給されていたため、そんなマンションであっても家賃を気にすること無く住むことが出来た。 けれども、会社を辞めて家賃も全て自分で負担しなければならない今となっては、あまりに負担が大きすぎる。 だから、取り敢えずは家賃の安い場所へと引っ越さなくてはならない。 引っ越しの荷造りをしながら、俺はぼんやりと考える。 何でこんなことになってしまったんだろう、と。 思えば俺の人生は、これまで何もかもが順調だった。 小学校の頃から勉強はよく出来た。 運動神経も良く、野球だってサッカーだって誰よりも上手く出来た。 背も高く、そして顔も良かったから女子からの人気も高かった。 リーダーシップのある性格だったため、いつもクラスの中心だった。 中学、そして高校へと進学しても、それは変わらなかった。 俺は常に周りの誰よりも優れていて、そして常に皆の中心だった。 誰もが俺に注目し、誰もが俺を褒め称えていた。 一流と呼ばれる都内の大学に難無く合格することも出来た。 大学生活も順調そのものだった。 学業は難無くこなせたし、サークルでも幅広く活躍した。 イベントサークルへと入り、そこで多くの催し事に関わった。 サークルのメンバー達を仕切ってイベントを成功させることは快感そのものだった。 就職に際しては競争率が非常に高い広告代理店を志望し、難無く入ることが出来た。 入社してからは花形の部署に配属され、業績は常にトップだった。 ロクに寝る暇も無い程に多忙な日々だったが、プレゼンの資料を作り、取引先や顧客と交渉し、部下や後輩達を指導し、それらが業績に結び付いて俺の評価、そして給料が上がっていくことは快感だった。 何もかもが順調だった。 これからだって、そのはずだった。 心に抱えた虚しさをごまかすようにして、独り黙々と引っ越しの準備を進めている中、スマホにメッセージが入った。 また誰かからの絶縁のメッセージかよとウンザリした気持ちを抱きながらスマホを手に取り、それを確認する。 そのメッセージは、地元に住む弟からのものだった。 仕事を辞めたと聞いたけど大丈夫かとの案ずる言葉、そして、もうすぐ子供が産まれそうだとの報告だった。 俺は、子供が産まれたら知らせてくれとの素っ気ないメッセージを弟に返す。 弟のことを思い出した俺は、より一層虚しい気持ちとなる。 地元の市役所に勤める三歳年下の弟は、昨年に結婚した奧さん、そして四年前に父を(うしな)った母と一緒に実家にて暮らしている。 その奧さんは、もう間もなく臨月を迎えるとのことだ。 弟は安定した職場に務め、既に結婚し、そしてもう子供まで産まれようとしている。 それなのに、俺は職を失い、友人や恋人も失い、その上これまでの住まいすら失ってしまうのだ。 実直に暮らしている弟との対比は、俺をより一層うんざりとした気持ちにさせてしまう。 一体どうして、こんなことになってしまったのだろう、と。 そんな時だった。 俺がそのカセットテープを段ボール箱の中から見つけたのは。
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