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02)ささやかな想い
南の地方の一角の、病院の霊安室
父親が横たわるベッドで、歳の離れた兄弟が涙を堪えていた。
父親は、いつもの知っている姿ではない。いくら声をかけても目を覚さない。
「男は泣いたらだめ」
父親の教えをひたすら守っていた。
兄は幼い弟に寄り添うように、父親の亡骸を見つめていた。
兄弟の両親。
母親が病気で亡くなり、父親が懸命に家族を支えていたが、仕事中の事故で命を落とした。
やがて兄弟はやがて親戚の家に引き取られたが、家族に邪険にされ馴染めず、もといた自宅に戻った。
中学3年生の新垣翠と、保育園年中児の蒼。
歳の離れた兄弟が、未来に希望を抱いて、支え合う生活が始まった。
翠はあるバンドのファンで、いつも聴いていた。幼い蒼もその歌を自然に覚える。ボーカルの女の子に、3人のバンドメンバーで構成されている。バンド名は「Histeric Candy」略してヒスキャンと呼ばれていた。
ボーカルのAKANEのキュートで伸びやかな声、小さな身体から出ているとは思えない力強さに、翠だけでなく蒼も惹かれていた。
そして、TVで観たAKANEの輝く姿は、
幼い蒼を虜にした。
「こんな風に歌いたい!」
愛らしい表情の中に秘められた力強さと、人を惹きつける魔法にかかっていた。
月日が少し流れ、南の地方ならではの少し強めの陽射し降り注ぐ春の日。
5歳になった蒼は、大切な人達がこれから訪れるであろう幸せに、小さな胸を踊らせていた。
2人に何かプレゼントしたい…そう思いながらいつもの道を歩くと、寄り添うように咲く2輪の黄色いタンポポが目に止まった。
「2人とも、喜んでくれるかな」
「タンポポさん、ごめんね…」
蒼は罪悪感を持ちつつ、2輪のタンポポを丁寧に摘み、家路に急いだ。
「翠(みど)兄ぃ、芽衣ちゃん!」
家に帰ると、高校生になりたての男女2人が少年を待っていた。室内は大好きなヒスキャンの歌が流れている。
「蒼、お前どこ行っちょった!?」
「あのね、2人に渡したいのがあるの!」
蒼は顔を真っ赤にしながら、嬉しそうにタンポポを2人に渡した。翠は驚いた。いつも走り回るやんちゃな弟が、花を持っているのだから。
「1本は翠兄ぃに、もう1本は芽衣ちゃんに」
「なんで?」
「だって…2人に結婚してもらいたいから!」
翠と芽衣は驚いた。2人は付き合って1ヶ月しか経っていない。高校受験を一緒に頑張るうちにお互いに惹かれあい、合格すると翠から告白し、付き合い始めた。
蒼はこの出会いをとても喜び、優衣も蒼の事を気に入り、弟のようにかわいがっている。
「あのね、もし翠にぃと芽衣ちゃんに、赤ちゃん生まれたら、俺、一緒に遊んだり面倒見るっちゃが!」
蒼の無邪気な言葉に、2人は照れたように笑った。まだ付き合って1か月だし高校入ったばっかなのに。しかし蒼の言葉は物凄く嬉しかった。蒼は心から言ったのだ。
「今度の日曜日、3人でお弁当持って公園行こう!」
芽衣が言うと、蒼は飛び上がって喜んだ。
そして、あまりの嬉しさにヒスキャンのAKANEに合わせて歌っていた。子供ながらに伸びやかで綺麗な声。そして何よりも音感が完璧だった。
「蒼、お前てげすげぇな!ガキだけど上手すぎる!」
「蒼くん、AKANEちゃんに負けないくらい上手っちゃが!
大好きな翠と芽衣に褒められ、蒼は嬉しさと幸せな気持ちでいっぱいだった。
貧しいけれど幸せな日々。
大好きな人達と過ごす楽しい日々。
もっと大きな幸せが待つ未来に進んでゆく。
幼い3人はそう思っていた。
それが、最も簡単に打ち砕かれるなんて…
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