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29)七変化の誘惑と欲望
蒼がニューアルバムの発売に合わせ、モデルを勤めた女性ファッション雑誌「Ra-Ra」が、マスコミやネットで話題になり、SNSではトレンドに入り、雑誌は売り切れ続出で重版になり、雑誌不遇の時代に快挙なことだった。
雑誌の表紙には「新垣蒼の七変化」とあり、蒼が丸坊主になり、手で片目を隠し、鋭い目つきで睨み付けているものだった。頭部部分は特殊メイクであるが、蒼の美しい頭の形が露わになっている。
これだけでも世間に衝撃を与えたのだが、もっと衝撃だったのは、蒼の「ある姿」だった。
この姿が、茜と紫に衝撃を齎す。
「新垣蒼の七変化」とは、その名の通り蒼が7種類をテーマにビジュアルを表現している。人間の様々な表情や一面を表現したものだ。あまり施さず、蒼の純粋無垢でいて目力が生かされたものになっていた。
純(子供)、闘(男)、艶(女)、生(龍)、彩(花)、闇(悪魔)、光(天使)
紫が「Ra-Ra」を手に帰宅した。まだ開封していない様子。
「よく手に入ったねー、それ入手困難でしょ?」
女性と悪魔と天使に扮した蒼を見て、茜と紫は衝撃を受けた。
「艶」を見た瞬間、茜と紫は息を呑み、暫く固まった。
蒼が女性に扮し、紅い苺に口付けているシーン。特集で一番注目を集めているページだ。
女性に扮しているのではない。「1人の女性」がたたずんでいるのだ。
あどけなく純朴な雰囲気から出される妖艶な表情は、殆ど施されていない。瞳だけで感情を強く出していた。
その瞳は愛する人を見つめる眼差しで、はにかみながらも甘えながら欲望を剥き出しにしているように見えた。その姿は上半身が露わになり、片腕で隠してあるが胸元には女性の特徴が表れているよう。
「茜さん…抱いて…」
雑誌越しに、蒼が囁き、茜を求めているようだった。そのあどけなく艶っぽい表情の中には寂しさも映し出されている。
「蒼…まだ茜の事が…」
紫の背筋が凍った。
慌ててページをめくると「闇」「光」のテーマ。それを見て、二人は更に驚いた。
「闇」も「光」も蒼は背中に翼をつけているが、その姿は対照的だ。
「闇」は、漆黒の翼をつけ、紅い光を放ち鋭い目付きで睨み付けながら、赤黒い涙を流している。紫がいつか夢の中で出会った蒼の姿だった。冷たい笑みを浮かべる表情。その瞳には激しい憎悪、狂気、怨念を感じて、背筋が凍る思いがした。
「茜さんをあなたから奪う!」
「俺も、茜さんを愛してる!」
「光」は、闇とは対照的に純白の翼をつけ、青紫色の光を放ち、純粋無垢な瞳からは青色の涙が流れている。茜が夢の中で出会った天使そのものだった。その手にはタンポポが。まるで愛する人に捧げるかのよう。
「茜さん、好き…」
「茜さん…受け取って…」
純粋無垢の瞳の青い天使が、必死に想いを伝え茜を手招きしているようだった。茜はいたたまれなくなり、雑誌を閉じた。苦しさも感じた。
「この雑誌…見るのやめよう」
言い出したのは茜だった。
蒼に引き込まれ、本気で愛してしまいそうな気がする…
茜は雑誌を紫に、誰にもわからないところに隠すよう頼んだ。自分が隠したらまた見てしまうかもしれないからだ。
恐らく蒼は二人を引き裂くつもりはない。
ただこうして、茜を想っているだけだ。
だが何故か、それだけで引き込まれてしまう。
蒼自身はおそらく、想いの強さと自分の中に不思議な力が宿るのを知らない。
この特集…俺たちに何かを伝える為に作られたのではないか…
紫は一抹の不安を覚えた。
蒼の意図はわからないが、想像した以上に愛が強いことに胸が張り裂ける思いがした。
「茜さん、苺を一緒に食べよ?」
紅い甘そうな苺を手に、蒼が照れながら無邪気に茜を誘う。蒼は苺が大好物。好きな人と一緒に好きな物を食べるのが夢だったのだ。
「美味しい」
蒼は美味しそうに苺をほおばる。茜も美味しそうに苺を口にする。
「茜さんと苺食べられて嬉しい」
蒼は嬉しい気持ちになり、無邪気に笑った。周りも甘い香りに包まれる。
蒼は苺を食べ終わると、茜の手を取り、真っ直ぐに見つめた。無邪気な表情が突然艶っぽい表情に変わり、茜は驚いた。
「茜さん、好き…」
茜は一瞬寒気を感じ、表情が強張る。繋がれた手を振り解こうとしたが、離れない。
蒼の気持ちに戸惑う。「好き」の温度差が2人の間では全く違う。蒼はそれでも構わなかった。
「茜さん、俺を抱いて…」
蒼は身につけていた純白の無縫天衣を外し、強靭な身体でありながら綺麗な肌が露わになる。まるであの雑誌の世界そのものだった。その瞳は茜への愛で溢れ、繋ぎ止めたい気持ちでいっぱいだった。
茜の背筋に寒気が走る。蒼のことを初めて怖いとすら思った。逃げたくても、引力が強すぎて逃れられない。腕を強く掴んでいるわけではなく、瞳の力が強すぎるのだ。茜はその瞳にまいと、視線を逸らしきつく目を閉じた
「蒼くん、あたしは本気で愛した人じゃないと駄目だから、あなたのことは抱けないよ!」
茜は半ば怒鳴るようにはっきりとNOを突きつけるが、蒼の瞳の色は揺れながらも、意思が固かった。繋ぐ手の力が更に増す。
「茜さん、逃げないで…」
「今だけでいい…俺を愛してほしい…」
茜は強く拒否したにも関わらず、身も心も蒼の方に引き寄せられていく。蒼の瞳と心は真っ直ぐで茜だけを捕らえていて、その力は茜が拒否する力より遥かに強かった。身体だけの力ではない。茜は蒼から逃れられなかった。
茜は驚いて目を覚ました。
「夢…かぁ」
夢の中の出来事とわかり、ホッとした。もし現実に起こったらと思うと怖い。
蒼の夢を見るのは、どの位ぶりだろう…
彼もメディアやネットで観る限り、素朴さやあどけなさは残るもあの垢抜けない雰囲気は変わり、今ではトップアーティストに躍り出た。私の事は忘れ、あちらの世界に相応しい意中の女性もいるだろうに…
茜の思いとは裏腹に、蒼は何一つ変わっていなかったのだ。
実際に蒼は七変化の撮影時に、全てのテーマで茜への想いを表情に出していたのだった。
茜を護る意志のある強い眼差し、紫に対する闘志を剥き出しにしたものもある。
撮影クルーは蒼の多彩な表情を絶賛しており、演技が上手いと思っていたが、実際には一途に一人の女性を愛している気持ちを出しているとは誰も考えもしなかったのである。
蒼も二人の幸せを願っていたが、茜への想いを絶ちきれないまま日々を過ごし、歌い続けていた。世に出た自分の曲を、愛する人に届けられるように、と思っていた。
蒼は想いを伝えず、ずっと心の中で茜への想いを募らせ、秘めていた。その想いは、日に日に強くなっていた。
茜は時折、紫と喧嘩をする。大抵些細なことなのだが、紫に対して許せない気持ちになる事があった。そんな晩は大抵、不思議なことに青や紫の光を纏う純粋な瞳の天使が夢に出てくる。
天使は茜の愚痴を一通り聞いたあと、茜の気持ちに寄り添いながらも、あどけなく優しい笑顔を向けていた。
「茜さん、大切な人を大切にしなきゃだめだよ」
天使は決まって優しく微笑みながら茜に言葉を向けるのだが、どこか哀しげにも見えた。茜が大切な人と仲違いになるのが辛いのか、想いが報われない切なさが表れているのかはわからない。
「茜さん、紫さんと仲直りして、ずっと大切にしなきゃ。紫さんはたった一人しかいないんだよ?」
天使は優しそうに、少し寂しそうに笑いながら言葉を残し、最後には必ず姿を消していた。
「紫さんと茜さんの幸せが、永遠に続きますように」
天使は離れても、現実でも自分に言い聞かせるように呟いていた。自分の気持ちを懸命に殺しながら。
「俺がいい子でいたら、茜さん達はずっと幸せでいられるよね」
二人の邪魔しないから…俺が黙ってればいい。
茜さんが悲しむ姿は見たくないから…
蒼はいつも、自分に言い聞かせていたのに、
時折茜を奪いたくなる衝動にも駆られる。
「だけど、俺は茜さんが好き…茜さん以外考えられない」
「茜さんには会えないけど、茜さんと一緒に過ごすのを想像したり、夢の中で逢えるだけでもいい…」
蒼は、茜の幸せを願う気持ちと、茜を奪いたい衝動が物凄い力で交錯する日々を送っていた。
音楽から離れ、夜の闇に身を沈める頃、茜の事が頭に浮かび、想いを募らせる。
「茜さん…愛してる…」
「茜さんを愛するだけでいいよね…」
涙とともに、自然と想いが溢れていた。
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