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03)誤解と後悔
翠は働きながら定時制高校に通っている。工場で働き定時の5時が終わると、一旦帰り夕食を蒼と食べて学校に行き、蒼は夜間の保育園に預けられる。
12月のある日、雨予報ではなかったのに、雨が降り出した。宮崎といえども、冬の雨の日は寒くなる。
翠は傘を忘れている。
「翠にぃに届けなきゃ!」
蒼は雨の中、二本の傘を持って外に出て、翠の職場に向かう。自分も傘をさして視界が悪い。途中、何かにぶつかり、転んだ。
「は?なんよ!?このガキ!」
運悪く、ぶつかったのはこの辺では有名な悪い連中だった。
「ご、ごめんなさい…」
蒼は怖くなり顔も見れず、俯いたまま謝ったが、その謝罪の声が届かず、連中は納得しない。
「は?心から謝らんか!このクソガキ!」
蒼は乱暴な言葉とともに頬を強く殴られ、地面に吹き飛んだ。蒼は肩を強打する。
「おい!お前ら何しちょっと!?蒼に手を出すな!」
翠は蒼を護るように後ろに隠すが、すぐに蒼は捕らえられ、翠は捕らえた男をなぐり、蒼を護る。
翠は殴られ、蹴られ、それでも蒼を護る。
翠と蒼は気を失った。翠は相変わらず蒼を護っていた。
冷たい雨が容赦なく、血と傷だらけの二人を打ち付ける。翠の傷は、既に生命の危機に達していた。
蒼は背中の痛みで目覚めると、天井は白く、白いシーツに包まれていた。
激しい痛みが容赦なく小さい身体を襲うが、蒼は我慢した。男の子は泣いちゃいけないと、お父さんからも翠にぃからも教わった。
「そういえば、翠にぃ…」
看護師は蒼が目覚めたことや痛みを堪える表情に気づき、優しく「痛くない?」と尋ねるが、
「翠にぃは!?翠にぃはどこ?翠にぃは大丈夫なの!?」
看護師は胸が痛んだ。自分も痛そうなのに、他人を気遣うなんて…そして、何よりも翠は…
「蒼くん、身体は痛くない?今はゆっくり休んで」
看護師の言葉に、蒼は表情をしかめた。急に痛みが走る。蒼は看護師が見守る中、痛み止めを服用する。暫くしてから痛みが治まる。
「翠にぃに会わせて!」
蒼の必死の訴えに、看護師は動揺していた。
事実を伝えるべきか…
「蒼くん、ここで待ってて」
看護師はそうに伝え、担当医師のところに走った。
蒼は医師に病院の地下に通された。そこは病室ではない。蒼は子供心にいやな予感がした。だって病院の下は…
蒼は両親が事故死したとき、対面するために翠と病院の地下に行った事を思い出した。
医師は無言でドアを開けると、そこには顔に布を被せられた人間が横たわっていた。蒼はとっさに翠がどうなったのかを理解した。
蒼は白い布を外した。顔にあざや傷はあるものの、見覚えのある顔だった。その顔は眠っているようだ。
「翠にぃ!」
蒼は叫んだが、翠は目を覚さない。手を握っても冷たい。手を繋いだあの温かさは全くない。それでも蒼は叫び続ける。
「翠にぃ!起きてよ!」
翠を揺さぶる蒼を、医師が宥める。そして医師は幼い少年に、淡々と真実を語った。
翠は既に亡くなっている事。
蒼が突き飛ばされたり殴られたところに翠が庇い、守っていた事。
蒼は黙って聞いていた。話を聞き終え、暫く黙っていた。事実を受け入れざるを得なかったが、蒼は必死に涙を堪えていた。
(翠にぃが…俺を守ってくれたの?俺のせいで死んだの?)
(俺は男の子っちゃが。泣いちゃいけない、強くなきゃ)
「翠!?」
部屋の入口から、聞き覚えのある女の子の声が。蒼が振り返ると、芽衣が立っていた。
「芽衣ちゃん!」
芽衣は蒼を無視し、翠に駆け寄る。
「翠!翠!起きてよ!」
目を覚さない翠に、芽衣は泣きながら叫ぶ。蒼や芽衣がどんなに叫んでも、翠は目を覚ます事はなかった。蒼は芽衣の悲しみを理解していた。
「芽衣ちゃん…」
芽衣は駆け寄った蒼を突き飛ばし、心無い一言を放った。
「翠は、蒼くんのせいで死んだっちゃが!」
「蒼くんさえいなければ、翠は死なずに済んだのに!」
「蒼くんなんか大っ嫌い!もう二度と会いたくない!」
蒼は突然言われた言葉に深く傷つき、涙が溢れ出た。
俺さえいなければ
俺が余計な事しなければ
翠にぃは死ななくてすんだ
芽衣ちゃんも悲しい思いをしなくて済んだのに…
全部俺のせいで、みんなが悲しんでる…
ごめんなさい…
ごめんなさい…
俺は悪い子だ…
蒼はみんなが悲しむ事に心を痛めていた。
この思いが蒼の心を支配し、蒼は自分を厄だと思うようになってしまう。後に大人になっても、この思いは拭えなかった。
痛みが治まったはずの傷も、再び痛みだし、再び気を失って倒れた。
蒼と芽衣は、それから二度と会う事はなかった。
翠が亡くなってから暫くして、芽衣は自ら命を絶った。
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