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30)時空の悲しみ
茜は夕食後の服薬を済ませた。
(今日も1日が終わる)
1日3回の錠剤と漢方の服薬。あの日以降、服薬が欠かせない。
4年前の事。
茜も紫も48歳になっていた。
紫が3期目の県知事として活躍していた頃の出来事。
紫は圧倒的支持があったが、反体制派からは命を狙われる事もあった。自宅や県庁に殺害予告が届く事があった。
茜が公務で同行したときの、あっという間の出来事だった。
1人の暴漢が、紫の左胸に鋭い刃をーーー
たった一枚の鋭い刃で、紫は絶命した。
紫は目を閉じる寸前、茜に気遣う眼差しを向けていた。あの瞳が忘れられない。
激しい痛みの中でもまるで「茜は大丈夫か?」と尋ねるかのよう。茜を見た瞬間、一瞬安心したように微笑み紫は目を閉じそれきり開けることはなかった。
(あのとき、助けられなかった…)
茜は紫を永遠に失った悲しみ、助けられなかった自責の念に苦しんでいた。体調に変調を来たしてしまい、服薬をしながら日常生活を送っている。
10年前に突如現れた、物静かで恥ずかしがり屋な、だけど一途で情熱的なバンドマンの事は、全く心有らずであった。
4年前のライブツアー最終日。この日は蒼の30歳の誕生日でもあり、デビュー5周年の記念日でもあった。
そして、悲しい誕生日となってしまった。
大歓声の中、蒼は手を振りステージ袖に降りた直後、衝撃的なニュースが飛び込んだ。
「藤井紫宮崎県知事 殺害」
蒼には何のことか理解できなかった。
マネージャーのタグに、詳細を聞かされ、一緒にネットニュースを見る。
蒼は紫が以前から反体制派から命を狙われていたのは、朧げながら頭に入っていた。実際、蒼が紫を尊重する旨を公言したとき、批判する声や、殺害を仄めかす声が届けられた事もあった。それでも蒼は自分の気持ちを貫いた。
「おい…蒼?」
タグは驚いた。普段感情をあらわにしない蒼が涙を流していた。その表情には怒りもあられていた。
「何で?なんで紫さんがあんな目に遭わなきゃいけないの⁉️」
「紫さんは、宮崎を、日本を良くしようと務めてたのに…なんで殺されるの⁉️」
「茜さんが…茜さんがかわいそうだ!」
何よりも茜の愛する人が自分の目の前で殺害された事を思うと、耐えられなかった。何よりも紫は、自分の夢を後押ししたり、応援してくれていたのに!
普段は冷静で温厚な蒼の激昂する姿に、タグは驚いた。5年間一緒に仕事して厳しい事を言う事はあるが、怒りを露わにして取り乱した蒼の姿を見るのは初めてだった。
「蒼…お前が好きな女って、もしかして…」
タグは蒼に好きな女性がいるのは知っていたが、誰なのかがわからなかった。蒼はずっと秘密にしていたが、つい口走ってしまったのだ。
それほど、蒼は動揺していた。
蒼はタグに本当の気持ちを話した。タグは蒼の一途な想い、そして何よりも相手に驚いていた。
タグにはかつて、茜とバンドを組んでいた叔父がいた。
タグには、蒼の一途で叶わぬ想いの痛みが物凄く伝わっていた。
それから、4年の月日が流れていた。
茜は服薬しながら、訪問看護師の仕事をしていた。
蒼はトップアーティストの道を歩んでいた。
この4年間も、二人はお互いに何も関わらないまま離れて暮らし、一人きりで過ごしていた。
茜は愛する人に対する「懺悔」に苦しみ
蒼は愛する人が持つ絆を壊すまいと気持ちを抑えていた。
其々に過ごしていた。
蒼の元にあの手紙が届く迄は。
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