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32)伝えたいこと
茜の子供達から、彼女に会うよう促されても、蒼は悩み、迷っていた。紫はこの世にいないが、きっと茜と紫は強い絆で結ばれている。
俺が入る隙はない。
「蒼…」
眠っている蒼の耳元に低い声が響く。
「蒼、話がある」
強い調子で促され目覚めると、なんと紫ではないか。
「紫さん!生きてたの!?」
「何言ってんだ。俺は死んでるがな」
驚く蒼に、紫は皮肉たっぷりに笑った。蒼には紫の笑顔が寂しそうに見えていた。
「でも…紫さん!生き返って!茜さんとまた一緒に…」
「何抜かしとんのや、このガキ!」
まさか30代半ばになってガキと言われるとは思わなかった…蒼は驚いた。48歳のままの紫から見たら蒼は、童顔のせいか幼く見える。
「ったく…蒼の自分より他人の癖は相変わらずやな」
「そんな事…だって、茜さんと紫さんは強い絆で…」
「確かにそうかもな。俺は蒼に茜を渡さないとも言ったし」
「けど俺は、寂しそうにしてる茜を見るのは、もっと耐えられんわ」
「俺はこの4年間、茜も、蒼も2人とも見てきた。そしたら、茜は笑ってるのにいつも寂しそうだし、時々泣いてるし。蒼は蒼で、相変わらず女を作ろうとしないし、それどころかずっと茜を思ってるのがすぐわかったわ」
ため息混じりに話す紫を、蒼は黙って見つめるしかなかった。理不尽に殺され天に召されても、時折様子を見ていたのか…
「蒼がいろんな女から言い寄られてたのは知ってたわ。断ってきたのは、ずっと茜の事が好きやったんやろ?」
紫の言葉に、蒼は照れながら頷いた。
「茜さんの事は…今でも好きっちゃが!それにやっぱり、茜さん以外は考えられない!」
紫は蒼の気持ちを確信した。こいつならきっと…
「蒼、会いに行け」
「え?」
「早よ茜に会いに行けよ!たまらんよ、茜が寂しそうに佇むのは耐えられないし…
お前なら、茜を大切にしてくれそうだと思ったんよ。あのときから」
「あのとき?」
「覚えてない?『茜さんを俺から奪う。信じてやらなきゃかわいそう』」
「あ、あのときは…」
10年前、随分生意気で、言ってはいけないことを言ったんだな…蒼は振り返りながら呆れていた。しかしあの頃は、そう言うしかなかった。
「蒼、俺はもしかしたらいつか、命を狙われるときが来るかもしれないと思って、茜に言うたんよ」
それは、紫が殺害される一年前の事。
この頃、反体制派が紫に殺害予告をしてきたのをきっかけに、紫に対する襲撃が執拗になってきた。
紫は離婚も考えたが、頑なに反対する茜に対し、念を押すように伝えた。
「茜、それなら一つ約束してくれ。
もし俺が死んで、誰かいい人いたら、そいつと一緒になってくれ」
「誠南も来年には家出るし、愛羽もいずれは独立する。一人きりの夜は長いんだよ。
お前はそれに耐え切れるのか?」
紫は幼い頃、独りぼっちで何日も夜を過ごしたのを思い出していた。いつ親が帰ってくるかわからない状況で、ただ孤独の闇が襲い掛かってくる。そんな状況を愛する人にも子供達にも過ごして欲しくない一心だった。
時折紫の頭の中に、蒼のことが一瞬頭を過ぎった。蒼は結婚や交際している、と言う話は聞かない。最も蒼は私生活を暴露しないので、知る由はなかったのだが。
蒼だったら茜に寄り添え、共に幸せの道を歩む事ができるだろう。紫は蒼の事が頭に浮かぶたびに、漠然と考えるようになった。
紫は自分の死を覚悟したときから、別れることも含め、茜に伝えるチャンスを伺っていた。茜の事は、どんな状況でも幸せにさせなくてはならないという思いが、紫の心を動かしていた。
紫は一通り話終えると、大きな溜息をついた。
「もう少し早くお前らに話しておけば良かったな。まぁ、そんなわけだ」
紫は淡々と語ったが、蒼は目頭が熱くなった。この二人の絆は強くて、紫さんは心の底から茜さんの幸せを望んでいる…
(俺がこの二人間に割って入っても良いのかはわからないけど…俺は茜さんが好きで、護りたくて…)
蒼は迷っていたが、想いを胸の内に強い力で手繰り寄せた。紫は蒼の心の内を察した。
「茜に逢いたいなら、逢いに行けよ。お前は男で、茜が好きなんだろ?」
蒼は恥ずかしそうに強く頷いた。
「じゃあ決まりだな。兎に角、宮崎にいる間に早よ逢いに行け。これが最後のチャンスかもしれんよ。もう俺は行くからな」
紫は言いたい事を言って、天に昇って行った。蒼はその姿を見えなくなる迄見送る。
「茜さん、必ずあなたを見つける」
蒼は声に出した。
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