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吹き抜けのロビーを抜けると、大通りに面する。そこから駅へと続く道を立花は土産の紙袋を提げながら悠々と行進していく。気分は黒船との交渉を取り付け、外貨を持ち帰り凱旋する特使である。「一等国」の彼女らは3階のバルコニーから見送り続けていた。
「しかし、こんなにあっさり。華陽は本当にこれでよかったんですかね?」
「あいつらがこの価値を分かっていないだけよ。自分たちが取り残されてる思ってなくて、熱量だけでなんとかなると思っている」
「『ミニ電話』、もう何年も同じですからね」
さゆりはバルコニーを背にもたれかかり、腕を組んだ。動きに反応し、スリープから目覚めた左手首のスマートウォッチが時刻を示す。
「時代が変わればニーズも変わる。それを認めたくないのよ」
『……すみません、聞こえませんでした』
「フフ、あなたに言ったんじゃないわよ、アポロン。華陽の連中なら、あなたのことも気味悪く思うかもしれないわね」
『「華陽 気味悪い」で検索しますね』
「しなくていいしなくていい」
2人と1つの会話がおちついた頃、アポロンは再びさゆりに声をかけた。
『14時35分です。カミヤマモータース・神山社長とのアポイントまであと25分です。途中道路工事による渋滞発生のため、ルートは靖国通りを利用。お早めの出発をおすすめします』
「さゆりさん、車回しますね」
「頼んだわ」
お昼時の混雑は山を越え、都心には比較的平穏な時間が流れている。それを邪魔しないよう、鮮やかな青塗りの水素自動車は、後藤の高度な運転も相まって、静かに会社のロータリーに差し掛かった。このままゆっくりブレーキを踏めば、ちょうど正面玄関の中央に後部座席のドアがぴったり来る計算だった。目の前の白シャツメガネが飛び出してこなければ。
「うおおおおおお!」
スマートな水素自動車が出せるとは思えないブレーキ音が響き、都心の静寂を遮った。
男にはそれが見えていないのか、平気で通り過ぎていく。
「ちょっと待てい!」
後藤はハザードを焚き、フットブレーキもしっかり踏んですかさず車から飛び降りた。左右を確認し、車の下に障害物がないのを確認してから、猛スピードで男に迫っていく。
「なに?」
「何、じゃねえ! 危ないだろあんた!」
「どう危なかったの?」
「え? いや、車の前急に飛び出してきて!」
「ぶつかってないじゃん」
「まあぶつかってないけど!」
「運転上手いんだねえ」
「当たり前だろ! 山形の合宿免許なめんな!」
「何の騒ぎ?」
鞄を片手にさゆりが正面ロビーへと降りてくる。2人は多少なりとも方々からの注目を集めていた。
「代表、すみませんお騒がせして。こいつが……」
『こいつ』の目はすでに後藤ではなくさゆりを向いていた。
「おいお前」
「『おまえ』……!? だ、代表だぞこの方は!」
「あーやっぱりそうか。じゃあ話は早い」
「一体、どんなご用件かしら?」
アポロンが通知する。
『次の予定まであと20分です。そろそろお急ぎください。路線バス到着時間の為、さらなる渋滞が予想されます』
「ごめんなさいね、行かなきゃいけないので手短に。ていうかお名前は?」
さゆりは声をかけながら車に向かっていく。後部座席のドアに手をかけたときだ。
「葛城。華陽の葛城誠一だよ」
一瞬時が止まる。春の昼下がり。微かな温かい風が彼女の背中を押す、そんな気がした。再び時間の流れを感じ、彼女は咄嗟に振り向いた。
「あなたが、葛城さん……?」
「あんたらの顔拝みに来た。俺の研究を買い漁ろうなんてどんな奴らかと思っていたが……水が合わなそうだ。だいたい何だよ全面ガラス張りって。夏とか最悪だろ」
「随分なこと言ってくれるじゃない……ていうか、それだけ?」
「おう、邪魔したな」
葛城は瞬時にロータリーをつたい、会社を後にした。この短時間で自分の会社、上司への悪口詰め合わせを食らった後藤は、その無法さにただ茫然とするだけだった。
「あ、そうだ」
葛城は何かを思い出し、さゆりの方に振り向く。
「そのスマートウォッチ。そのAIってあんたが作ったんだっけ?」
「え……? まあ、そうだけど」
「それは、よくできてた。いいじゃん。じゃ」
さゆりは手首の「彼女」に静かに目をやる。顔を上げると葛城の背中は小さくなっていた。その様子を眺め、クールな表情ひとつ崩さず、彼女はドアを開け、車に乗り込んだ。
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