第1部「狼煙」

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「お前も打ってみろよ。飛ぶって。気持ちいいぞ?」  途中から聞くと穏やかでなさそうな会話が交わされる。しかし気に留める者は一人もいない。ここではそれが常態化されているからである。  長津田が腕を振り下ろす。軽快な打撃音とともに小さな白球は、ゴルフ練習場の奥に張られたネット目掛けて飛んでいく。その様子を葛城は左のレーンで冷ややかに眺めていた。 「ほら見ろ!」 「ふ~ん……まあ」 「なんだよ、ノリ悪いな。やれば分かるって、ほら」  結局葛城もアイアンを握らされることとなった。当然彼は触れたこともなく握りもままならない。おまけに長津田の持つものは平均よりも重く、ずっしりと来る。 「右手がボール側?」 「そう。打つ時にヘッド地面に叩くなよ、高いんだから」    葛城は腕をぴんと張ったまま思い切り体を回す。そのスイングは綺麗な水平を保ったまま、勢いよく音を立てて空を切る。半径2メートルを微かな風が薫った。 「ハハハハ!!」  長津田が手を叩き転げまわっている。ふだん仏頂面で嫌な奴の彼がこんなにも金づちだったかと思うと、波のように可笑しさが押し寄せてくる。葛城はその場でクラブを放し外へと歩き出した。 「ごめんごめんごめん、言い過ぎた。教えるから、な? まず肩の力を抜いて、斜めから振り下ろすイメージだよ」  10分ほど経ってやっとボールが弧を描くようになってきた。音も徐々に鈍さが減っていく。カードが切れる最後の一打。快音と共に白球は高い角度で伸びていった。 「おお、やるなあ! ラスト一球で間に合ったな」  練習場は自販機のラインナップも充実しており遠方からわざわざ通いに来る者も多い。  長津田から勧められたレモン味の炭酸飲料を持ちながら、葛城はベンチに座り長津田の練習を眺めていた。彼は体勢を崩すことなく一定のペースを刻んで、軽々とボールを飛ばしていく。白髪混じりの短身から打ち出されるスイングは力強くもしなやかだ。 「いつもこんなことやってんの?」 「まあ、コンペが近い時はなおさら? 普段でも週1はいかないと体が落ち着かなくて」 「中毒じゃん」 「失敬な。親交を深めるのには大事なんだぞ? 仕事に繋がることだって」 「ほんとに?」 「ああ。普通の場では通せない案件だって、ゴルフを通じてやれば……ん?」  葛城が前かがみに話を聞きだしている。 「ま、上手かったらの話だけどな! ハハハ!!」  また葛城が席を立つ。 「ごめんて!」  長津田が再び制止し、事なきを得た。思えば、『問題児』と称される彼とここまでまともに話すことはなかった。弓月に紹介されて来たそうだが、最初はあまりいい思いがしていなかった。実際常務の立花に正面から盾突き、葵が頭を抱えているのも間違いではない。  ただ、この場で会って初めて葛城を自分の目で見たような気がした。
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