第1部「燻煙」

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第1部「燻煙」

 都心の環状線は朝の混雑により5分程度の慢性的な「遅れ」が生じている。本日の天気が下り坂なのも停滞に拍車をかけている。  乗客は苛立ちこそすれど今更文句を言うことはない。同じことが起こりすぎて溶け込んだ末にこの光景こそが正常と思っている者もいるくらいである。  遅れの元である混雑を生み出すターミナル駅から徒歩3分、その本社は佇んでいた。  創業90年の電機メーカー『株式会社華陽(かよう)』。昭和初期に電器職人・大平権之助が開業した下町のラジオ店から始まった。彼の組み上げたオリジナル製品『オオヒラジオ』は品質の良さから人気を呼び、修理を求める需要も相まって盛況となった。軍部やGHQからも高い評価を受け、戦中・戦後の特需を経てさらに成長を遂げていく。その確かな腕も次代に受け継がれ、現社長の善十郎で三代目となる。  しかし、デジタル機器が世に溢れ出し、サービス競争が過熱していくと次第にその競争力は衰えを見せていく。加速度的に変化していく時代の流れに、元来職人気質である華陽のやり方では追いつけずにいた。善十郎は国産スマートフォン『ミニ電話』を開発し代表的ブランドの確立を目指すも、かまぼこ板のような厚みのデバイスで、競合他社に機能性・価格面で瞬時に圧倒されていった。既に2期連続の赤字決算を記録し、業績の低迷は目に見えていた。  窮まったのは、善十郎の病である。意識はあるものの職務継続は困難で、実質的な社長不在の状況に陥った華陽は、副社長の弓月博信、常務の立花宗之をトップとする経営再建チームを発足させるが、未だ活路は見いだせずにいた。   「君、自分が何を言っているか分かっているのか?」  立花は目の前にいる一人の『問題児』と対峙していた。 「『会社が殿様商売だ』って話ですか?」 「2度も言うな!」  彼の名は葛城誠一。華陽の製品管理チームに所属する。製品の研究・開発を担うが、この再建チームにはお呼びではなかった。にも関わらずこの男は、再建検討会議が始まる前の2人のもとに突如殴りこみ、1ページ目に現体制を『殿様商売』と太字の角ゴシックで断罪した過激な再建案を持ち込んだのである。 「他社と労力や経費は同じなのに、うちは価格が高すぎる。それを当然のこととして下げようともしない。これが問題じゃなくて何だっていうんですか?」 「大平社長が最適と考えて決められたことだ。それだけの価値がある」 「本気で言ってます?」 「君は社長の熱意が嘘だと言いたいのかね!」 「そう思いたいですわ」  葛城と立花の罵り合いを他所に、奥の弓月はコーヒーを片手に黙々と葛城の『怪文書』をめくっている。なおも2人のラリーは止まる見込みがない。 「そもそも、この『ミニ電話の販売停止』、これは何だ!?」 「高くて性能がいいならまだしも、それも最悪だから止めるって話です」 「社長の努力の結晶に向かってそんなことを!」 「でも、結果は出てないですよね? 現に売り上げは落ちてるでしょ?」 「大事なのは努力だ!」 「だいたいなんすか『ミニ電話』ってネーミング、ださ」 「お前いい加減にしろよ!」 弓月はようやく葛城に声をかける。 「で? そこまで言うからには考えがあるんだろうな、葛城」 「はい。スマホを完全な新機種に入れ替えます」 「それは?」 「マイルフォンです」 「マイルフォン?」 「新しい海底資源『マイル』を使ったスマートフォンで、マイルフォンです」  「お前もたいがいだろ」という言葉は飲みこみ、弓月は葛城に続けさせる。 マイルとは、10年前に発見された日本海周辺・インド洋・北極海を中心に分布が確認されている新しい海底資源・レアアースの一種である。温室効果ガスの排出量も低く、極めて高いエネルギー効率が確認され、次世代のメインエネルギーとして注目されはじめた。しかし、一般市場に流通させられるだけの生産・供給体制が整っておらず、各国がしのぎを削りその一番手を目指している。 「発見以来、諸外国はマイルの研究に躍起になってます。ものにできれば、次のエネルギー競争に大きく有利に働く。今回、私は世界で初めて商品化に成功しました」  葛城は、ポケットから一台の端末を取り出す。それは「ミニ電話」と比べ遥かに薄く、軽く見えた。液晶も広く高精細な映像が展開されていた。今、海面からクジラが水しぶきを上げて出てきたところだ。 上部に「KAYO MILEPHONE」の刻印がされている。 「マイルを使えばバッテリーの持続時間や反応速度や画質も飛躍的に上昇します。実証を行いましたが、稼働時間は最大168時間、1週間です」 「1週間?」 「はい。そこのかまぼこ板なんか比べ物になりませんよ」 「誰がかまぼこ板だ!」  耐えかねた立花が割り込んでくる。 「バッテリーがどうとか、反応がどうたら、実に卑しいぞ! そうやってなんでもかんでもケチをつけて、作り替えるのが楽しいと思っているのか!」 「ゴミをゴミと言ってるだけですが?」 「我々には、10年やってきたこの『ミニ電話』があるんだ! これを作るのにどれだけ頑張ってきたと思ってる! それにその言葉遣い、不愉快だ」 「言葉遣い関係ないでしょ」 「とにかく、こんなもの、問題外だ。そうでしょ、弓月さん……弓月さん?」  彼は再び企画書と共に一人の世界に入っている。 「弓月さん、弓月さん!」 「……財源は? 業績に与える効果は? 生産ラインに必要な経費は?」 「あー、それは、入ってなかったですね」  弓月は初めて顔をしかめて大きなため息をついた。 「じゃあそれで終わりじゃないか。今生産できるのお前だけだろ? それ1台作るのに時間とコストがいくらかかった? お前、1億台のスマホに相当するマイルを一人で採掘して加工できんのか?」  その隙を見計らい立花はその場を締めに動いた。 「新製品は却下! ミニ電話の製造を続ける。当然かつ妥当な結論に達したわけだ」 「では、常務、どうやって建て直すつもりですか?」 「ふん、決まっているだろう」  立花は深呼吸し、腕を組み黒の背広でまとった身体を座り直した。 「製品を愛し、この良さを見つめ直し、とにかく頑張ることだ。我々が一番商品を愛さないでどうするというんだ。そんな販売を止めるなどの邪道な考えを捨て、このミニ電話が生まれるまでの歩みを語るべきだ」 「じゃあ語ってください」    しばしの沈黙が流れる。 「まあこの会議でそれを語り切るのもまた失礼……」 「ないんじゃないですか」 「うるさい! とにかく、営業努力を強化し、不要な経費を削減する! もちろん、君のその研究も廃止の対象だよ」 「しかしこれでは世界と戦えませんよ」 「戦う必要はない。世界とか、大きな話は難しくて分からん。そんなことをしなくとも、日々努力を続けていれば、顧客もいつか必ず認めてくれるはずだ」 「結果を生まない努力か……ハハハ!」 この日初めて葛城は口角を上げた。広い会議室に嗤い声が響く。 「本物の馬鹿だ」 「貴様! 今何と言った! 取り消せ! この!」  顔を真っ赤にして怒鳴り散らす立花を横目に見ながら、嘲笑の眼差しで会議室を後にしていく。出ていった後も立花は暴れており、会議開始時刻に他の部長が入ってきたあとももう少しだけ暴れていた。  製品開発チームの組織改編人事が発令されたのはその1週間後である。
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