30人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ
華陽の社内でも葛城の不在は少しばかり騒ぎとなっていた。いくらひねくれものとはいえ、彼が職務を放棄したことはない。空のデスクを前に、葵は一人立ち尽くしていた。
「うわ、本当にいないんだ」
長津田が中を覗きにやってきた。
「……いいの? あなたこんなところにいて。居づらいんじゃない?」
「ああ、融資の件ですか? 僕は全然。しかし、立花さんもひどいよなあ」
葵は自分から出す言葉を選んでいた。次第に体に震えが生じる。
「まさか……まさかだよ? 葛城君、早まってたりしないよね……?」
「え?」
葛城は、父の言葉を後生大事に持っていた。そして研究に自信がついたとも語っている。実現間際になって妨害された今、彼の中で何かが壊れてしまうのではなかろうか(すでに壊れている部分があるのは置いておいて)。
その時、彼はどうするのか。思考が悪い方へと引っ張られていく。
「いきましょう」
「葵さん?」
「葛城君を探すの! 彼、もしかしたら……」
「呼びました?」
ドアの方向を振り向く。入り口には確かに葛城が立っていた。あっけらかんとした表情で普通に立っている。
「かつらぎ、くん……?」
「はい」
「い、生きてる?」
「はい」
「手首切ってない?」
「はい」
「誰か殴っていない?」
「はい」
「誰か刺したり、突き落したり……」
「俺どう思われてるんですか」
1秒ほど息を吐いて、葵はよろめき、デスクに手をつく。
「驚かさないでよ! 昨日の今日でいなくなるなんて! 心配になるじゃない!」
「いや……出社してましたけど」
「え?」
「ほら、そこ」
よく見ると、先ほどから足元に何かが当たっている。下に目を遣ると、確かに葛城のカバンだった。
「打刻もしてますよ」
葵は別の理由でよろめきそうになる。顔の熱さを感じた。長津田の憐れむような視線を感じる。
「何見てんだ!」
「えええ!?」
当然ながら葛城からも視線を感じる。
「いや、その……あの……ごめん、なさい」
「ふっ」
「は!? 笑った!? 笑ったよね、今あんた! こっちが真剣に謝ってんのに」
「謝るの誇ってどうするんですか」
「誇りある人間だからこそ素直に謝れるのよ! だからあなたも大人になりなさい!」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
2人が少しずつ遠くなっていく。長津田にはそう思え、小さく呟いた。
「あぁー平和だなあ」
葵が仕切り直した。
「で、どうする気なの? これから」
「次の手を使うまでですよ。さっき銀行の寺林さんと話して、意見が一致しました」
鞄を持ち上げ、葛城は部屋を出ていく。
「これで決めますよ」
最初のコメントを投稿しよう!