第1部「延焼」

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 華陽の社内でも葛城の不在は少しばかり騒ぎとなっていた。いくらひねくれものとはいえ、彼が職務を放棄したことはない。空のデスクを前に、葵は一人立ち尽くしていた。 「うわ、本当にいないんだ」  長津田が中を覗きにやってきた。 「……いいの? あなたこんなところにいて。居づらいんじゃない?」 「ああ、融資の件ですか? 僕は全然。しかし、立花さんもひどいよなあ」  葵は自分から出す言葉を選んでいた。次第に体に震えが生じる。 「まさか……まさかだよ? 葛城君、早まってたりしないよね……?」 「え?」  葛城は、父の言葉を後生大事に持っていた。そして研究に自信がついたとも語っている。実現間際になって妨害された今、彼の中で何かが壊れてしまうのではなかろうか(すでに壊れている部分があるのは置いておいて)。 その時、彼はどうするのか。思考が悪い方へと引っ張られていく。 「いきましょう」 「葵さん?」 「葛城君を探すの! 彼、もしかしたら……」 「呼びました?」  ドアの方向を振り向く。入り口には確かに葛城が立っていた。あっけらかんとした表情で普通に立っている。 「かつらぎ、くん……?」 「はい」 「い、生きてる?」 「はい」 「手首切ってない?」 「はい」 「誰か殴っていない?」 「はい」 「誰か刺したり、突き落したり……」 「俺どう思われてるんですか」  1秒ほど息を吐いて、葵はよろめき、デスクに手をつく。 「驚かさないでよ! 昨日の今日でいなくなるなんて! 心配になるじゃない!」 「いや……出社してましたけど」 「え?」 「ほら、そこ」  よく見ると、先ほどから足元に何かが当たっている。下に目を遣ると、確かに葛城のカバンだった。 「打刻もしてますよ」  葵は別の理由でよろめきそうになる。顔の熱さを感じた。長津田の憐れむような視線を感じる。 「何見てんだ!」 「えええ!?」  当然ながら葛城からも視線を感じる。 「いや、その……あの……ごめん、なさい」 「ふっ」 「は!? 笑った!? 笑ったよね、今あんた! こっちが真剣に謝ってんのに」 「謝るの誇ってどうするんですか」 「誇りある人間だからこそ素直に謝れるのよ! だからあなたも大人になりなさい!」 「はいはい」 「『はい』は一回!」  2人が少しずつ遠くなっていく。長津田にはそう思え、小さく呟いた。 「あぁー平和だなあ」  葵が仕切り直した。 「で、どうする気なの? これから」 「次の手を使うまでですよ。さっき銀行の寺林さんと話して、意見が一致しました」  鞄を持ち上げ、葛城は部屋を出ていく。 「これで決めますよ」
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