第2部「泥沼」

3/3

30人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ
「なんだ、これは……」  その日、男は食卓で朝刊を広げていた。自分で焼いたパンが床に転がり落ちる。 『華陽前常務 カラ出張計上か 数十回以上』  北九州営業所長の御門は、3年前まで華陽の常務だった。しかし、あることがきっかけで、異例な現職への人事を受ける。事実上の更迭処分である。その原因こそ、今彼が目の前にしている記事の内容だった。  常務に着任してからの6年間、架空の出張申請を繰り返し、300万円を超える金銭を着服していた。記事によれば、内部告発で取締役会の知る所となり、突然の異動人事が下された。 「なぜ、今になってこれが……。幕引きにしたはずだ……」  程なくしてインターホンが鳴る。激しいノック音とともに彼を呼ぶ声が聞こえ始める。静寂ながらも穏やかな朝のルーティンが幕を閉じた瞬間であった。  報道陣は東京の華陽本社にも詰めかけていた。御門の架空計上を知っておきながら、出向を決めたのは、華陽の取締役会である。人事を通じて隠蔽を図ろうとしていたとする疑惑が急浮上した。 「一言ください! 一言!」 「コメントは差し控えさせていただきます!」  少し外れたところから、宇和島はスーツのポケットに手を入れせせら笑う。正面玄関の前に着くと、おもむろに煙草に火を点け、咥えながら堂々とエントランスに入っていった。  今や彼を咎める者など、誰もいない。
/83ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加