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第2部「白日」
『パパ! パパの似顔絵、褒められたから見て!』
6歳の彼女は帰ってきたばかりの父に駆け寄る。
『そんなことより算数のテスト、点数が悪くなってるじゃないか。遊んでないで勉強しろ』
しかし父はそれを冷たく突き放した。
『パパ! ピアノのコンクール全国行けたよ!』
『それが、高校受験でどう役に立つというのだ、バカバカしい』
中学生になっても、父と彼女の溝は埋まらなかった。彼の目に映っている“優秀な娘”は、常に通知表に好成績が記された葵ただ一人であった。
「助かった……助かったよ」
今。変わり果てた父の病床を前にさゆりは静かに微笑んだ。
「しかし、驚いた。まさかお前が現れるだなんて」
「考えてもいなかったでしょ?」
「……正直な」
窓の外に烏が一羽留まる。さゆりは部屋の周りを眺めた。
幼いころに母が亡くなって以降、家事はハウスキーパーが担ってきたこともあり、最低限整えられてはいたが、かつての華陽の栄光を顕した数々の記事や賞状は、色褪せてしまっている。葵の部屋と思しき空間は、物が散乱し始めていた。
外側だけが美しいままで、避けられぬ衰えを隠すことはできないでいた。
「随分弱ってしまったのね」
「私も、会社も、ご覧の通りだよ」
「それで、あいつに投げたんだ」
5時を告げるチャイムが遠くから聞こえる。灯りのない部屋で、2人の影は少しずつ伸び始めていた。
「……申し訳ないと思っている」
「私には?」
再び善十郎は言葉を詰まらせる。
「言わないんだ。そりゃそうか。失敗作だもんね、私は」
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