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「……なぜ笑うの」
「いや、何から何までお前の言うとおりだと思ってね。お前が成功した時、最初に出てきたのは拒絶の感情だった。そんなわけがないとね。だが時が経つにつれ、今度は悔しさが勝った。何も分かっていなかったんだとね。今になってだよ。しっかりと喜べたのは」
「ああ、そう」
善十郎は、細い上体をゆっくりと起こし、さゆりと目線を合わせた。
「だがね、葵も負けちゃいないぞ」
「は?」
「確かに、あいつは私のような堅物だ。だが、あいつの周りについてくる人はいる。何しろ役割を果たすためなら突っ走って苦しむ奴だ。人柄が、何とかしてやらないとって思うんだろうな。お前が出ていった時も、かなり悔やんだそうだよ」
「あいつが、そんな、まさか……」
「葛城君」
彼から発せられることのなかったであろう人物の名前にさゆりは思わずびくつかせた。
「彼は私の言葉に感銘を受けたそうだ。『壊社員たれ』という言葉がね」
「何それ」
「いやあ、お前の活躍を見て、真似したくなったんだよ。新しい発想を持って、ついにはこの会社を壊してしまうほどの逸材を育てられないかとね」
水を汲みに行ったとき、テーブルに置かれたその社内報を思い出した。
「思ってもないことをよくもまあ」
「ああ。今思っても形からしか入ってなかったな。だが、実際彼はそれを原動力にしてくれている。そんな彼、葵と随分上手くやってるそうだ。多少は手ごわくならんかな」
「……いや、それはない」
「ないか! アハハ!」
憑き物がとれたような父のこの笑みは何なのだろうか。自分から足を運んでおきながら居心地が悪い。
「彼のおかげで少なくとも会社の舵は切られた。そう考えたら、結局のところ『壊社員』はお前だったのかもしれないな」
スマートウォッチを押さえていた手を戻し、さゆりはゆっくりと立ち上がる。
「もういいわ。あなたと話しても無駄みたい」
「許せとは言わん。だが、葵のことだけは、よろしく頼む。私はもう長くない。任せられるのは、お前しかおらん……どうだ、気は済んだか?」
「ええ。すっきりしたわ」
さゆりは襖に手をかけ、最後に一度振り向く。
「さようなら」
庭先に停まっていた烏が一度鳴いた。
アポロンから音楽が流れる。見知らぬ番号からの着信に、一瞬訝しんだが、さゆりは応答した。
「はい……?」
『あ、もしもし』
「……葛城さん?」
『おう。明日の朝、暇?』
「え?」
『どうなの?』
「何よ、急に」
葛城はすかさず答えた。
『ゴルフ、行こうよ』
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