第1部「燻煙」

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「今日は帰ろう」  彼は工場の灯りを消すと、戸締りを確かめ外に出た。だがこんな時間に近寄ってくる者がいる。従兄弟の銀行員である。 「康太! 元気か!」 「シーッ! 昭宏、もう日付変わってんぞ!」  どうやら彼は今日も飲みに連れていかれたようである。何かあるとここに立ち寄るのが彼の「生態」である。フラフラな体の彼を座らせ、冷蔵庫の水を差し出す。 「ハハハ! あざっす! やっぱ清水さん所だけだよ、茶出してくれんのは」 「水だけどな」 「他のところは水すら出してくれねえって」  寺林はグラス一杯の水を一気に飲み干した。 「どうよ? 最近」  なんだかんだ一番答えに困るフリである。 「この前聞いたばかりでしょう。全然だよ、全然」  清水康太の経営する清水製作所は、亡き叔父から受け継いだものである。メーカーの発注を受け、実際に製品として組み上げていく。かつての工場はそうして業績を積み上げていった。  だが、生産台数はメーカーの売上に左右される。先代の頃から生産していた華陽『ミニ電話』は競合他社の製品に圧倒され、年々受注が減ってきていた。新規メーカーに営業をかけるも旧型の設備や人材不足を指摘され、なかなか受注に結び付かなかった。解決しようにも多大なコストがかかり、また投資したところで状況が改善される見通しは不透明。今はただ惰性で走り続けているだけである。 「なんかしなきゃいけないってのは分かるんだけどなあ……」 「簡単だよ、うちで借りればいいんだよ」  こちらに向かって歯を見せて笑う寺林。こんなことを言う時もだいたいどんなときか経験則で分かる。 「また競合負けたのか」 「……やってらんねえよな」  清水もまた寺林と同じくかつては将来を期待されていた一方で、そこにやるせない現実が重くのしかかっていた。周りは「自分の居場所で花を咲かせろ」と安易な言葉で励ましをかける。  だが、そもそも自分の居場所に肥料などあるのか、いっそ焼き畑にしても変わらんのではないかとすら考え始めていた。一方で、そういうわけにもいかないことだって分かっている。 「どうしたもんかねえ。俺たちがガツガツ行き過ぎてるだけってかもしれないけど。このまま無駄に過ごしていくわけにもいかないしな。まあ、まずは自分が腐らずにやっていくことだ……」  彼がひねり出したフォローむなしくとっくに寺林は寝息を立てていた。 「おい! おい寝るな! タクシー呼ぶから、おい! なんか色々語った俺がすごい恥ずかしいからさ! おい!」
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