432人が本棚に入れています
本棚に追加
「はぁ……」
タクヤは店のソファにどさりと身体を沈めると、特大のため息を吐き出した。
もしその場にいたなら「ちょっと店長、どうしたんですか!」と駆け寄ってくるはずのミクも、そのほかのスタッフももうとっくに帰している。だから、誰にも気兼ねすることなくぐったりできるのだった。
シンジが辞めて早一か月。
彼がそう図らってくれたのか、想定よりずっと離れていく客はおらず、ありがたい反面、彼の抜けた穴を数少ないスタイリストで何とかするのはなかなかに大変だった。それでも、そこで疲れた顔を見せるのは向こうの店長であるあの男に負けたような気がして癪で、いつも以上に笑顔を振りまき、溌溂と仕事をしてきたわけだが……その何ともいえない緊張感が伝わってしまっていたのだろう。スタッフの皆もいつも以上に気を張って働いてくれ、結果、一か月の売り上げはここ数か月で一番を記録した。
だが、こういう働き方を長く続けることは難しい。その通り皆にも随分と負担を強いてしまったし、もっとも自分の体力が続く気がしない。
明日は皆にケーキでもご馳走して、それで、またいつものアットホームな雰囲気の店に戻していこう――
そこまで考えたところで、タクヤはようやく今日が日曜日だったことを思い出した。
明日が休みの、日曜の夜。
そんなときに決まってタクヤとグラスを合わせた彼はもう、いない。
慧と会った、最後の夜。あの夜のことを忘れることなんて出来なかった。
タクヤの望みにしぶしぶながらも応え、激しく抱いてくれた彼。タクヤの悩みに真摯に向き合い、正直な気持ちを伝えてくれた彼。
そんな彼を一人残してホテルを飛び出した、あの夜を。
『先生みたいな割り切り方、俺には到底出来ないなって……そう、思っただけですから』
……改めて酷い捨て台詞だ。でも今なら、なぜあんな台詞を吐いたのかが分かる。
もし、大切に思っていた人が職場を離れてしまうとしたら――そんな仮定の、しかしタクヤにとってはまさに今直面している問題に対して、慧はこう言った。
『だとしても僕は、やはり……その人を引き留めたりはしないと思います』
割り切ったその答えは、あくまでも彼の仕事上の話でしかないはずだった。
それなのに、なぜかタクヤには、その台詞が何か他のものも含むように聞こえてしまったのだ。
つまり……もし自分が彼の元を離れてしまったら、彼はもう以前のようには自分を追いかけてはこないのだろう――そんな予感めいたものに思えてしまったのだった。
最初のコメントを投稿しよう!