Leave it to you!

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結局、その家は申立て前に売りに出し、間もなく買い手も見つかって、前野さんは大切な自宅を失うことになってしまった。 だがその事実を伝えたときも、彼は「そうですか」と小さく呟いただけだった。 もちろん悲しくないことはないだろうが、手続きを始める前も後も、そんな過去があったとは思えないほど、彼は淡々として見えた。 そのことを彼女に伝えると、彼女はすぐに何かに思い当たったようで、「ああ……」と声を漏らした。 「それは、たぶん……母が亡くなったから、ですね」 「お母さまというのは、その、以前に離婚された……」 「ええ。母はこの数年はずっと入退院を繰り返していまして。でも一昨年、とうとう……」 「……」 「でもそれで、父もようやく、未練を捨てられたんでしょうね。いつかまた、三人一緒に暮らせる日が来るっていう、そんな夢を」 彼女は目線を上げ、掛ける言葉も見つからず神妙そうな顔で話を聞いていた慧をじっと見つめた。 「改めて先生、本当に父のこと、ありがとうございました」 深々と頭を下げる彼女に、慧はまた「ですから、自分は何も――」と口走ったのだが。 「ねぇ、先生」 「はい?」 「『何も』なんて、言わないでください」 彼女は慧を見つめた目を優しく細めると、フッと笑った。 「父は言っていました。先生と話すのはとても気が楽だったって。だから安心して任せられたんだ、って。それって、先生が父のこと、ありのまま受け入れてくれたからだと思うんです」 「いや、それは流石に買いかぶり――」 「いいえ先生。これは買いかぶりでも、お世辞でもないです。そもそも、ここで先生をヨイショしたって得することなんて何もないでしょ?」 「まぁ、それもそう、ですが……」 慧がそうごにょごにょと返すと、彼女はくすくすと声を出して笑う。 そして、すっかり冷めてしまったであろうコーヒーを一口飲むと、いつもならピンと伸びているはずの背を丸め小さくなってしまっている慧へ、ゆっくりと語らいかけたのだった。 「否定もしないし、評価もしない――先生のそういう姿勢が、父には何より、ありがたかったのだと思います」 「そんな先生に救われた人、きっと父だけじゃないはずですよ」
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