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「兄貴はホント、自由奔放なヤツでね」
男は襟足の微調整をしながら、淡々と彼の兄について語り始めた。
「おまけにキザなところがあったから、女性のファンが多くいたんだよ。君の母親みたいにね」
「……」
「でもある日、ここの従業員だったコと独立するって言って、突然店を辞めたんだ」
「……!」
(母さんのことだ……!)
タクヤはごくりと唾を飲み込む。そして同時に、冷や汗が流れ落ちた。
母が教えたがらなかったことを、こんな形で聞いてしまっていいのだろうか……だがそれ以上に、真実を知りたいという気持ちを抑え込むことは出来なかった。
男はあの日の母のように、どこか遠くを見つめるような目をしていた。
「とてもいいコだったんだよ、そのコ。技術がピカイチで、愛嬌もあって……でも、あの兄貴が珍しく真剣だったから、しぶしぶ了承したんだ。それなのに、結局――」
男はそこで一旦区切ると、苦々しい顔で呟いた。
「兄貴の奴、一人だけでここに戻ってきてね」
「えっ……」
「それで、その数か月後に事故って死んじゃったってわけだ」
「……!!」
タクヤはひゅっと息を飲む。
(し、死んだ……!?)
悲しいのか、といえばそうではない。顔も覚えていない、母親を一人にしたその張本人を悼む気持ちは湧いては来なかった。
それでも……どこか胸の隅っこの方に確かにあった、いつかは知りたい、できれば会ってみたいと思っていた、自分の本当の父親。
それがもう、この世にはいない、だなんて――
「どうした、大丈夫?」
タクヤのケープを外しながら、男がタクヤにそう囁く。いつの間にか仕上げも終わっていたらしい。
タクヤは何とかこくこくと頷いてみせると、男は「ならいいけどさ」と、大きな鏡を頭の後ろで開いた。
「こんな感じだけど」
「……」
「で、どう? 気に入った?」
「……」
「何、気に食わない?」
「いっ、い、いや……かっこいいです、とても」
かつて母がしてくれたのとは全く違う、その髪型。
タクヤの甘めの顔立ちとは対照的で、しかしその絶妙なギャップが、何とも言えない雰囲気を作り上げていた。
本来のタクヤだったら、きっともっと驚き、喜んでいたことだろう。
でも、今日のタクヤにはこれが限界だった。
あまりに、色々なことがありすぎたのだ。
そんなタクヤの様子に、男は何も言わず、指先に付けたワックスを手早く髪全体に広げていく。
そして最後に、短くした前髪を指先で軽く整えてやった。
「ありがとうございましたぁ~!」
来た時と同じように、元気な声で先ほどのスタッフに見送られる。
タクヤはぺこりと礼をすると、どこか覚束ない様子でガラスの扉に手を掛けようとした。
と、そのとき。
目の前に割り込んできた、大きな影。
「お客さんを外まで見送るのは、俺のポリシーみたいなもんでね」
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