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「あっ、あなたは……!」
タクヤの悲鳴じみた声に、男は一瞬、びくりと肩を震わせる。
が、すぐさま「こいつはなんだ」と剣呑な感じでじろりとタクヤを睨んでいたのだが。
ふいにピクリと眉を持ち上げると、突然、「もしかして、君……美容師?」と尋ねてきた。
「は、はい、そう、ですけど……」
なぜ分かったのだろう。恐る恐るそう答える。すると男は感心したように、うんうん、と頷くと、「なるほど、そういうことね」と独り言ちた。
「あの……?」
「いやね、君が同業者ってことは、俺もまだ捨てたもんじゃないなってさ」
「……?」
タクヤの反応など目にも入らない男は嬉しそうにそう言うと、ずいと顔を近寄せてきた。
「それにしても君、よく知っていたね。俺が○○コンテストで優勝したってこと」
「○○、コンテスト……!?」
それは美容師であれば必ず耳にしたことのある、歴史あるコンテストである。様々な部門があって出場者数も桁違いなそのコンテストは、タクヤも若いときに一度出場し、実は入賞したこともあったのだが、優勝というのはやはり別格だ。
とはいえ、最近はあまりそういうコンテスト系に出ることは無くなり、店のスタッフもそんな感じなので情報には疎くなってしまっていた。
だが、ここで正直にそれを喋れば、せっかく機嫌の良くなった彼と話せるチャンスをふいにしてしまうだろう。
タクヤは男の勘違いに乗ることにした。
「にしてもさ、驚いたよ。だって、今から十年、いや、二十年近くも前のことだろう? 君、いったいいくつよ?」
「38です」
「あれ、思ったより上だな。三十前後くらいだと思ったけど。まぁ、そのくらいなら覚えてるってのもわかるな」
男はまた確かめるように何度か頷くと、「で、君はどうしてここに?」と、向こうからこちらに振ってきた。
「……」
タクヤは思わず口を閉ざす。
男が投げたその台詞は、本来はタクヤが男に投げるはずだったからだ。
でも……よくよく考えるまでもなく、自分のことは何も明かさず、彼の事情だけ聴き出そうとするというのは明らかにフェアとは言えないだろう。
タクヤはそのままじっと足元を見つめ――そして、男の方へと顔を上げた。
「俺は、その……会いに来たんです、先生に」
最初はそのつもりじゃなかった。でも、ここに来るまでのいきさつを話しても仕方が無いというのもあったし、結局のところ――先生に会いたい、その気持ちが無ければ、今ここにはいなかったはずだ。
認めてしまえばなんとも簡単なことで。
しかしタクヤはどうにも居心地が悪くなり、男の視線から逃げるように顔を俯けた。
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