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「動かない、って……それは、どういう……」
「そのまんまの意味だよ。急にこわばっちゃって、自由に開けたり閉じたりできなくなったって感じでね」
タクヤは埜口の手に視線を向ける。
男はそれに気付いてか、その手をタクヤの目の前にかざす。そして、ぐーぱーぐーぱーとしてみせた。
「この通り、いつもダメってわけじゃないんだよ。だから普通に生活はできるんだ。でも……さっき見ただろう?」
「あの、スマホを落とした時……」
「そうそう。あんな感じでね、突然おかしくなる。前もって予告してくれるんならまだ、やりようってのもあったんだけどね」
男の口にした、やりよう、という言葉。
その言葉に、タクヤは埜口がどうして美容師を辞めたのか、いや――辞めざるを得なかったのかを理解した。
「って、初めからこんなに、物分かりよくできるはずもなくてね……」
埜口はグラスを置いた手でもう一度、もう一方の手をそっと包み込む。
「病院で言われたんだよ。この病気は、治る病気じゃない、ってね。いかに悪化させず、上手に付き合っていくか。でもさ、そんなの……ふざけんなって感じだろ?」
「……はい」
「それでね、色々と悪あがきしちゃったんだよ」
「悪あがき、ですか」
「そう。あれはどう考えても悪あがきだったね……その当時はもちろん、そんなことは一ミリも思っていなかったけどさ」
埜口はまた弱々しく笑う。
タクヤは少し躊躇った後、「つまりそれって……病院以外で、ってことですよね」と尋ねた。
「その通りさ。まぁ、色んなものを試したよ。やたら高いサプリメント、高評価ばっかりの民間療法、挙句の果てには明らかに怪しいスピリチュアル系にも手を出したりしてね。今思えば馬鹿なことしたなって思うよ」
「……あの」
「ん?」
「もしかして、それで……ですか」
タクヤがちらりと外を見やる。
……その視線が何を意味しているか、分からない埜口では無かった。
埜口は頷くと、タクヤの視線の先――未だ明かりの灯る、慧のビルを見つめた。
「さっきも話したけどさ……ずっと、本当のことを言えないまま、ここまで来ちゃったんだ。先生はもちろん、美晴ちゃんにも随分と気を揉ませてね。でも……そろそろ本気で過去を清算しないとって、ようやくそう思えたんだよ」
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