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……と、いい気でいられたのもほんの束の間。
「はぁ……」
先生が用意してくれた、なみなみと湯が張られた湯船に浸かりながら、タクヤはまたもやそんな深いため息を零していた。
まず、ここで最後の準備をしている時からして地獄だった。
今までなら特に何も考えることなく事務的にこなせていたのに、今日はいちいち先生を意識してしまうのだ。
指を突っ込み、狭いそこを広げているとき、どうしても掠めてしまう自分の好きなところ。その途端、勝手に浮かび上がってくるのは――
『タクヤさん、ここ……気持ちいいですか』
「……~~ッ」
タクヤはシャワーを冷水に変えると、全身の火照りが落ち着くまでそれをかぶり続けた。
そして話は冒頭へ戻るわけだが――
「俺、どうしちゃったんだよ……」
完全に冷えてガタガタ震えていた身体もすっかり温まった。
だが、タクヤは浴槽の中で体育座りをしたまま動けずにいた。
「今からこんな感じじゃ、さ……」
もうさっきからため息しか出てこない。手のひらにすくったお湯をパシャリと顔にかける。
今更先生の前で、こんな風にいかにも意識してますという感じを出してしまったら、きっと先生のことだ、「一体どうしたんですか」とまた戸惑わせることになってしまうだろう。最悪、やっぱり無理させているのでは……なんて、先生あるあるの行き過ぎたマイナス思考を発動してくる可能性もある。
「どうしよう」
呟いた言葉が、リビングと同様に余計なものが一切ない浴室に響く。
悩んだところでどうしようもないことは分かっている。
……というか、本当のところ、先生の反応よりももっと、そんな自分自身に耐えられない、というだけのような気もする。
これ以上、ここにいてものぼせてしまうだけだ。
タクヤは覚悟を決めると、ざばりと勢いよく立ち上がる。そして、先生が頑張って掃除してくれた小ぎれいな浴室から出ようとした……のだが。
ふと、横を向いた先。
大きな鏡に映る、全裸の自分。
薄暗いホテルで見るのとは違うその姿は、ありのままの自分自身だった。
「……」
タクヤはじっとその身体を見つめる。
先生の、日に焼けていない肌とは違う、少し浅黒い肌。見られる仕事ゆえ多少意識してはいるにしても、そこまでくっきり凹凸があるわけでもない、ごく一般的な男の身体。違うのは、最近またブリーチして明るくした髪ぐらいだった。
今まで寝てきた奴らに褒められてきたこの身体だったが……今はそれらの言葉がリップサービスどころか全て嘘っぱちに思えてくる。
どうして先生はこんな身体に執着しているのだろう。初めて見たものを親だと思い込むヒヨコみたいに、初めての相手であるタクヤを特別視しているんだろうか。
本来、先生ほどのスペックがあれば、間違いなくよりどりみどりのはずなのだ。自分なんかに一途にならずに、もっと色々な人を抱いてみたらいいのに――そう思う一方で、そんなのは絶対嫌だと思う自分がいる。
鏡の中からこちらを見つめる、自信の欠片もない、怯えた男。
「……そんな目で見るなよ」
タクヤは男を睨み付けると、半透明の扉に手を掛けた。
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