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「情けない?」
「……」
「それってもしかして……寝ちゃったから、ですか?」
タクヤの問いかけに、慧は沈痛極まりない表情でこくりと頷いた。
「タクヤさん、言いましたよね。いい子にして待っているように、って」
「あっ、あれは、その……」
あの時はただ、先生にやられっぱなしなのが悔しかったのだ。それで、ついあんな恥ずかしい台詞をかましてしまったわけで――
「それなのに僕は、タクヤさんの折角の好意を無駄にするようなことを……」
額に手をやり、この世の終わりみたいな顔をする慧。
「いやいや先生、そんな大げさですって!」
「いや、ですが……」
「あーあれはまぁ、その場のノリ、みたいな? 深い意味はない、みたいな??」
「でも……」
「それに俺も、やっぱり先生は、その……俺とエッチなんかするより、しっかり身体を休めた方がいいだろうって思った、し……っ!?」
突然、視界がいっそう暗くなる。
あ、と思った瞬間には、タクヤは慧の胸の中に閉じ込められていた。
「な……っ、先生!?」
「……」
彼は何も言わず、ただその腕の力をさらに強める。苦しいぐらいの抱擁だった。タクヤはたまらずぺしぺしと彼の腕を叩く。
そして、ふと力が緩んだ隙を見て無理やり肩口から顔を出すと、男をじろりと睨み付けた。
「もう先生、何なんですかほんとに!」
「……」
「そろそろね、急に抱き締められるこっちの身にもなってくださいよ」
「……すみません」
慧はぼそりとそう謝ったが、果たしてどれほど反省しているのかは分からない。でもまぁ……今まで何だかんだ、そんな先生を許してきたタクヤにも原因がある気はするのだが。
しかも、あんなに怒られたというのに、先生はタクヤをその腕の中から逃がそうとはしない。
タクヤはため息を一つ吐くと、慧の腕を掴んでいた手を、諦めて背中へと回した。
「で、先生……何か言いたいこと、あるんでしょ?」
彼がこうするとき――それは、胸に秘めていたものがあふれ出てしまったときだ。
タクヤの問いかけに、慧はしばらく何も答えないでいたが。
「…………はい」
相当時間をかけてその二文字を発した彼は、またすぐに口を噤んでしまう。
そんなに言い辛いことなんだろうか。
それでもタクヤは急かすことなく、先生の背中をぽんぽんと優しく叩いてやった。
もし、かつての自分だったら――きっと先生の仕草を勝手に解釈して、勝手に沈んでいたかもしれない。
でも、今はあの時とは違う。
先生の気持ちも、そして……自分の気持ちも、今ここにあると信じられる。
「大丈夫ですよ、先生」
「……」
「どんな言葉も、受け入れますから」
……そういえば、ずっと昔、似たようなセリフを言った気がする。
そうだ、あの土砂降りの駐車場だ。
先生の車の中で、自分に呆れただろう先生から、別れの言葉を告げられるのを待っていた。
でも今は、そんな覚悟は必要ない。
先生の心からの言葉はいつも、タクヤに力をくれた。
今回だって、きっと――
「タクヤさん」
「……はい」
「僕……、その、やっぱり……」
「タクヤさんと……したいです」
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