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「で、これは言おうか、かなり迷ったんですけど」
「もう何でもいいよ……」
「じゃあ、お言葉に甘えて言っちゃいますけどね……」
ミクはきょろきょろと周囲を確認する。
そして、近くに誰もいないことを確認すると、再びタクヤの耳元に唇を近づけた。
「店長、お店で抱き合うの、やめてくださいね?」
「……!!!」
その瞬間、タクヤの脳裏に蘇る、およそ二か月前の記憶――
二号店開店に向けての準備と月末の作業が重なり、タクヤは皆を帰した後、黙々とデスクワークを続けていた。
その夜は、本当は先生と会う予定だった。
「遅くなってもいい?」と送ったメッセージに「もちろんです」と返してくれた先生。そんな彼の好意に甘える予定だったが、全く終わる目途の見えないその果てしない量を前に、「やっぱ今日難しそうだわ、ごめん」と連絡を入れたのだ。
今日会って、しばらく会えなくなると言うつもりだった。
こういうことは直接伝えたかったというのもあるけれど……でも一番は、会えなくなる前に一度、彼に死ぬほど愛してほしかったから。そうしてもらえたら、これからの忙しさも乗り切れる気がしたのだ。
……が、結局そのどちらも叶わなかったというわけだ。
実際、全てが終わったのはちょうど日付が変わったぐらいで、既に終電は無くなった後だった。
疲れ切った身体でタクシーを呼ぼうとしたところで。
コンコンと、店のドアを叩く音。
最初は気のせいかと思った。が、すぐにまたコツコツ、と音がして。
不気味さより苛立ちが勝って、「ったく誰だよ」と文句を言いながら近寄っていったのだが――
「タクヤさん、いますか」
聞き慣れた、低くて良く響く声。
タクヤはすぐさま鍵を開けると、ドアのハンドルを勢いよく引っ張った。
「ごめんなさい、勝手に来てしまって……」
彼は口元に手をやり、俯き加減にぼそぼそとそう呟いた。
きっと寝る準備でもしていたのだろう。上下スウェットで、いつもは後ろに流している髪を下ろした、そんな先生の姿を見たら、もう――
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