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「付き合ってほしいところがあるんです」
彼の車に乗ってすぐ言われた台詞に、タクヤは目を何度か瞬かせた。
てっきり、すぐに彼のマンションに行くものとばかり思っていた。そしてそこで、久しぶりに――
「あの、タクヤさん?」
駄目でしょうか? と首を傾げられ、慌ててぶんぶんと首を振る。
(何考えてんだ、俺……)
タクヤの了承を得て、慧はすぐにエンジンを掛ける。メーターまわりのいつも通りの派手な演出を横目に、タクヤは赤い顔に気付かれないよういそいそとシートベルトを締めたのだった。
「……先生」
「はい」
「あの、この方向って……」
車窓の景色を眺めながらタクヤは慧へと問いかける。
あの日は昼間だったので徐々に変わっていく風景が良く見えたが……今日はひたすら建物の赤いランプだけが流れ去っていく。
でも、彼がどこを目指しているのかを当てるのはそんなに難しいことじゃなかった。
「……気付きました?」
慧はちらりとタクヤを流し見ると、いたずらが成功した子供みたいな笑みを浮かべた。
彼に連れられるまま、夜の港町を歩く。
さっきのビジネス街同様、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。ただ、それとは違うのは、知り合いに会うかもしれないという恐怖が無いことと……風に乗ってうっすらと波の音が聞こえてくることだった。
以前ここに来た時は、巨大な商業施設の中を突っ切り、その公園へとたどり着いたはずだった。が、この時間ではもちろんそのルートは使えない。
とはいえ先生はやはり慣れているようで、別のルートを迷いなく歩くのをタクヤは黙って付いていった。
「着きましたよ」
慧が振り返り、そして、当たり前のようにタクヤの手を取る。
温かいその手に引かれ、あの日、彼と夕日を見た場所へと足を進める。
一度来た場所なのだ、そんなに驚くようなことなんて――
「うわぁ……っ」
果てしなく広がる、夜の海。遠くに掛かる橋の灯りも綺麗だったが……それよりも、その波の一つ一つが満月を無数に砕いたみたいにキラキラと瞬いているのが、息を飲むほどに美しかった。
「すごい……」
子供みたいな感想をあげながら、タクヤは隣の慧を見上げる。彼は既にこちらを見ていたらしく、波と同じくらい目を輝かせているタクヤにそっと微笑んだ。
「以前にもお話ししましたが……ここは、僕の思い出の場所なんです」
潮風が、普段よりセットされていない彼の前髪をふわりとかき混ぜる。
いつもは力強い彼の目元。熱く見つめられるだけで、いとも簡単にタクヤの体温を上げてしまうそれが、今はただ静かに夜の海を眺めていた。
「あの日は、夕焼けの時間にお誘いしましたよね。でも、本当はこういう夜の海の方が、ずっと馴染みがありまして」
「それは……仕事帰りに来るから、ですか?」
「当たりです」
流石タクヤさんだな、と慧はくすくすと笑う。
そんなに難しい問題でもないですから、とタクヤは返そうとしたのだが。
「……」
彼のなめらかな頬が、月の光に青白く浮かび上がる。
今は朗らかな顔をしている彼。だが、十数年前の彼は、ここで一人、どんなことを考えていたのだろう――そう思うと、タクヤの胸は締め付けられるように痛んだ。
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