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「先生」
「はい? ……っ!」
こちらへと振り向いた彼の腰を、繋いでいない方の手で引き寄せる。
驚いた顔のままの彼へとぐっと伸びあがると、タクヤは触れるだけのキスをした。
「……っ、あの、え……っ?」
おろおろと戸惑う慧の顔は、この明かりでも分かるぐらい真っ赤に染まっていく。
そんなに恥ずかしがられると、こっちまで恥ずかしくなりそうで……タクヤもまた赤くなった顔をサッと背けると、照れ隠しにごにょごにょと呟いた。
「今まで頑張った先生に、ご褒美です」
「……」
「……あの、先生?」
冷たい潮風が、二人の間を吹き抜けていく。
「……」
顔を片手で隠したまま、先生はなぜか、黙りこくったままだった。
タクヤは最初こそ何度かふざけて「先生~?」と彼を呼んでみたりしたが。
しかし、慧は固まったみたいにひと言も喋ろうとはしなかった。
「せ、先生……?」
そんな彼の姿に、次第に不安が募っていく。
(もしかして、俺……マズいこと、しちゃったか……?)
考えてみれば――いや、大して考えなくたって、先生が今までこの場所に、どんな思いを抱えてやってきたのかは分かることだった。
しかも、今日はその元凶の一つともいえる彼のお兄さんと対峙してきたのだ。
こんな、軽い冗談みたいに慰めて良いわけがなかった――
「先生、あの……っ」
タクヤは慌てて彼を仰ぎ見る。が、何と言って謝ったらいいのだろう。
そうしてタクヤが困り果てていると。
「タクヤさん」
「はい……わっ!」
突然、身体をすっぽりと覆うように抱き締められる。
いつも通り、予告なく寄越される抱擁。でも、それに文句を言うつもりはなかった。
彼の分厚く、逞しい身体。それに包まれるだけで、タクヤの不安も、強張りも、あっという間に緩んでしまうのだから。
「先生……」
慧の大きな手。それが、タクヤの後頭部をゆっくりと撫でる。
「まさか、こうしてご褒美を貰える日が来るなんて、思ってもみませんでした」
頭の後ろの方で聞こえる、低くて耳馴染の良い声。
「生きていれば良いことがあるものですね」
笑い交じりのそれが、でも少しだけ、震えている気がした。
「ありがとうございます、タクヤさん……あの頃の僕が、ようやく報われた気がします」
縋りつくように、さらにぎゅっと抱き締めてくる先生。
その広い背中を、タクヤは何度も優しくさすり続けたのだった。
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