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そうしてあの夜、二人で交わし合った指輪を眺めていると。
「ほんと、羨ましいですよ、先生たちが……」
美晴が深くため息を吐く。
その左手の薬指には、慧と同じように指輪が光っていたが……美晴の場合は、それがむしろ悩みの元凶のようなものだった。
「いや、美晴さんだってこれから――」
慧が最後まで言い切る前に、美晴は速攻で首を横に振った。
「あいつ、準備とか全然積極的にやってくれなくて。私ももう半分諦めちゃってるんですけど……なんか、もしかして式を挙げたいのって私だけなのかなぁって最近思っちゃうんですよね」
タクヤと慧より遥かに長い交際期間を経て結婚を決めた美晴。最初にその報告を受けたとき、彼女はどこか申し訳なさそうな顔をしていた。その理由をなかなか言おうとはしなかったが……慧の無言の圧力に折れた彼女が吐露したのは。
「先生と奈穂子さんを前にはしゃぐなんて、そんなこと、できるわけないですよ……」
そう涙目で呟いた彼女を、ちょうど事務所に帰ってきた奈穂子と共に慌てて慰めたのが今から一年ほど前。
その後、無事に入籍したあたりまではまだ幸せそうにしていた美晴だったが――
「いや、そんなことは無いと思いますけど……」
一体どう慰めていいものやら分からず、途方に暮れていた慧だったが。
「私もそれは無いと思うわよ」
声の方を振り返れば、三人分のカップを手に奈穂子がこちらへと歩いてくるところだった。
「奈穂子さん……」
皆に食後のお茶を差し出してくれた彼女は、デスクチェアに深く腰掛けると、まだかなり熱いだろうそれにすぐに口を付ける。
「あの彼のことだもの、ただ面倒くさがっているってだけよ、きっと」
頼りになる奈穂子の登場に、とりあえずひっそりと胸を撫で下ろす。
奈穂子は相手のことを知っているようで、美晴も「そうですかね……」と縋るような顔で奈穂子の話に耳を傾けている。
奈穂子は静かにカップを置くと、人差し指を唇の前に翳した。
「でもね、一つ言わせてもらうとすれば……彼のそういう人任せなところ、決してそのままにしておかないほうがいいわよ」
「えっ……」
「今からちゃんと彼を教育しておかないとね。そうしないと、いずれ、どんどん自分だけ苦しくなって、最後には修復できない状態になってしまうものだから」
「…………」
奈穂子の実感の籠ったアドバイスに、美晴の顔色がさらに悪くなっていく。事務所の空気すらも冬に逆戻りしたように冷え込み始めていた。
助けを求めるように時計を仰ぎ見たところで、まだ休憩時間は二十分ほども残っている。ちょっと買い物に……とも言い出せない雰囲気に、慧は完全に存在を消し、黙々と甘辛いたれのかかったご飯を胃袋に流し込むことしか出来ないでいたが。
ピンポーン
チャイムの音と、続いて聞こえてきた「先生、いる~?」の声。
慧は真っ先に立ち上がると、出ていこうとする二人を押し留め、逃げるように玄関へと向かったのだった。
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