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加島 理恵は、とあるプロデューサーの推薦により、今日からここモデル部門の撮影現場に足を運んでいた。
正直、テレビスタッフの自分には場違いではないかと思ったが、将来プロデューサーを目指すなら幅広いジャンルの仕事現場で働いた方が良いだろうとのことで決して左遷ではない。と、信じたい。
(今日の仕事は夏に流すCM撮影か。都内から車で約一時間ほどにある浜辺を午前中だけ貸切っての撮影。流れは企画書を読ませて貰ってるから問題はない……)
「おい! 安道くんはまだ入らないのか! 約束の時間を1時間も過ぎてるぞ!!」
「す、すすす、すみません!! 彼専属のマネージャーに聞いたところ、朝はちゃんと家を出たそうで」
「家を出たって、ガキの報告か! この浜辺の貸し切り時間のこと分かってんのか!!」
「も、もう一度、スタッフ一同で探してきます!!」
「当たり前だ!!」
現場監督の罵声により、理恵含むスタッフ10名が捜索にあたることになった。もちろん理恵も含まれている。
(何でスマホで連絡しないのだろう。そもそも遅刻するような人なら、前もって対策とか練れば良かったのに……)
浜辺付近はあまり遠くへ行きたがらない熟年のスタッフたちが探すことになり、理恵含む数人はもう少し先へ足を延ばすことになった。
とはいえ、浜辺付近には民家が点在しているくらいで、ほとんどがあぜ道か道路しかない。
理恵は浜辺から約20分ほど歩いたところにあったコンビニに立ち寄ることにした。春が近いとはいえ、まだまだ朝夕は寒い。
本来なら、浜辺で順調にCM撮影に励んでいるはずだというのに、自分は何をやっているのだろう。
情けなくなってきた理恵は、たまたま目に入った、本日遅刻している“安道 千種”の雑誌を手に取った。
安道 千種ーー22歳。身長187cm、体重72kg、16歳~20歳まで海外でモデル、俳優として活躍。日本に帰国した理由は不明、大人の色気に人を引き寄せるカリスマ性、何よりも母性を駆り立てる甘いマスクが若い世代から高年齢層まで人気を集めている。
「うん、記事の大半はよく分かるけど、母性って………」
「それね、俺もよく分かんない。記者の人と普通に話していただけなのに、そんなことを書かれちゃってて正直、シンガイよ」
「は?」
頭の上から声が下ので見上げると、端整な顔立ちで美しさの塊の男性が理恵の背後に立っていた。思わず手にしていた雑誌の男性と見比べる。ーー間違いない、安道 千種だ。
「……何してるの?」
「BIKカツが無性に食べたくなって、近くのコンビニを回ってるのに売ってなくてショック受けてるところ。普通はあるよね?」
「……それを撮影前にやる?」
「人は己の欲求には“あながえられない”ものだと思ってる」
「“あらがえられない”ね。“な”じゃなくて“ら”。俳優もやるなら日本語は間違えないの」
「おーべー育ちなんで」
「嘘。義務教育期間はしっかり日本で学んでいるはずよ。しっかりしなさい社会人」
パンッと、彼の腕を叩くと、彼は面食らった顔をして、直ぐにはにかんで笑った。
「なによ?」
「いんや、あんたみたいな対応、久しぶりで嬉しくって。……名前は?」
「加島 理恵、26歳。未来のプロデューサーよ」
「俺専属の?」
「なんでそうなんの。普通にテレビのプロデューサーを目指しているの。個人のプロデューサーが欲しいなら別の人に頼みなさい」
「残念」
しゅんと、目に見えない耳としっぽが垂れた音がする。
(なるほど、これが女性の”母性”を刺激する甘いマスクか)
理恵は一瞬、キュンッと高鳴った胸に納得した。
でかい図体の割に子供みたいなことを言って相手に自分の我儘を通す。なんて憎たらしい子だ。
短く息を吐き、理恵は彼の手首を掴んだ。
「ほら、撮影現場に行くわよ。みんな待ってるんだからね」
「は~~い」
「間延びしない、しゃんとする!」
「はい」
素直に返事をする安道に理恵は「いい子」と笑って見せた。
浜辺に辿り着くまで、理恵は安道の手を掴み、先導して歩いていたため、安道がはにかんだ笑みを浮かべていたことを知ることはなかった。
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