嘘吐きの目

11/12
前へ
/12ページ
次へ
 柴崎が門の前で待っていると、程なくして徳兵衛がやってきた。今まで何度も松五郎に門前払いを食らっていたから、耕助から報せを受けて慌てて出てきたのだろう。徳一郎の葬儀の支度もあるだろうに、供の者も付けず、たった一人で――そして、柴崎に会うなり泣き崩れた。  申し訳御座いません、申し訳御座いません――徳一郎が、孝之様を。  その先は、言葉にならなかった。涙に(むせ)び、地面に(うずくま)るようにしてただただ()びる徳兵衛を見て、柴崎は――心底、哀れに思った。  もういい――そう言って、柴崎はしゃがんで徳兵衛の肩に手を置いた。 「お主も、さぞ、辛かったであろうな」  予想もしなかったであろう言葉に、徳兵衛が驚いて顔を上げた。  その目を見つめて、柴崎は再び口を開く。 「我らは、互いに息子を亡くした。もう、それだけでよかろう……もう――よいのだ」  そう言って、柴崎は立ち上った。そして徳兵衛に背を向けて、屋敷の中へと向かう。徳兵衛の嗚咽(おえつ)を遠く聞きながら、柴崎は思った。  徳兵衛は、あの日が来るまで知らなかったのだ。己の息子が、己を(さげす)み、双子の兄の子を(ねた)み、殺したことを。そうだと、信じたい。  あの、憔悴(しょうすい)しきった様子で、土に(まみ)れて詫びる姿を、嘘だと思いたくなかった。思えなかった。柴崎の目に映る徳兵衛は、突然に己の立っていた地面が突き崩されて奈落に沈んだ、哀れな父親だ。  その、己の目すら信じられないのなら――柴崎は、もうどうしていいのかわからなくなる。  己の部屋に戻って、柴崎はぺたりと腰を下ろした。松五郎が既に片付けてしまったのか、耕助らが座っていた座布団や、手もつけなかった茶は、どこにも見当たらない。  柴崎は、庭へと目を転じた。そこには、藤棚があって、池があって――でも、地面は綺麗に(なら)されているし、日に照らされて乾いている。  柴崎は、ゆるりと目を閉じた。  ここしばらくの出来事の余韻は、もうどこにもなかった。いっそ、全て嘘だったかのようだ。 (ああ、それは違うな)  こんな昼日中(ひるひなか)に柴崎が屋敷にいることこそが、変事があった何よりの証拠だ。  柴崎は何よりも例繰方のお役目が好きだったから、こんな時分に屋敷にいることなど、今回を除けば一度しかない。  あれは、孝之を亡くしたときだった。  そして、今回は―― (……高、なのか)  柴崎の人生の中で、失くしたくないものなんてそうそうない。でも、その数少ない内の二つが、柴崎の手の届かないところへ行ってしまった。  でも、何故だか涙は出ない。  どうして、こんなことになってしまったのだろうなあ。  ぼんやりと、柴崎は考える。でも、何も浮かんでこない。  その理由はなんとなくわかる。何をどうしたら、こうならなかったのか――そんなことを考えたって、起こってしまったことはもう変えようがないからだ。  世の中に、理不尽なことは山ほどある。人の力では太刀打ちできないような不幸が、この世には溢れている。  でも、それに文句を言ってどうするというのだ。世の中も、他人も、己一人の力では何一つ変えられない――  無力なのだ、柴崎など。人など。だから。 「世の中は、なるようにしかならぬのだなあ…」  柴崎は、そう呟いた。  そのときだった。 「――旦那様、お客様が」  背後から、松五郎の声がした。  客か――今日は、もう疲れたのだが。それでも一応振り返って、誰が来たのだと柴崎は問う。すると、何故か松五郎は表情(かお)を曇らせて口篭(くちごも)った。 「はあ……それが――春川様が、いらしております」  今度は、柴崎が表情を曇らせる番だった。春川? ということは、右近なのだろうか。そういえば、その辺りの事情はまだ松五郎には話していないから、戸惑うのも無理はなかろうが。  どうせなら、耕助と一緒に来てくれればよかったのに。そう思いながら、柴崎はため息を吐く。 「流之介殿か。ならば、この部屋に――」 「いえ、そうではないのです」  言いかけた柴崎に、松五郎は首を横に振る。右近でないなら、一体誰が。  首を傾げる柴崎に、松五郎は困惑した表情でこう告げた。 「いらしているのは、流之介様のお父上に御座います」  柴崎は、目を瞬かせた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加