嘘吐きの目

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「そして六年前、あの大火の直前に清正様はお戻りになられて――」  そこまで言ったところで、柴崎ははたと気付く。話がずれている。  見れば、右近はとても居心地の悪そうな表情で腕組みをしているし、耕助はそんな右近を横目で(にら)んでいる――これは、早々に本題に入らなければ。  柴崎は居住まいを正して、下手な咳払いをしてみせた。 「それで、だな――私も歳だ、跡目の問題がある」  随分と遠回りをしたが、ここからが本題だ。  例繰方に限らず、与力や同心といった役は抱え席と言われ、一代限りの召し抱えとなっている。が、実際は余程のことがない限り世襲が認められているため、柴崎くらいの年になれば皆、跡目を譲って隠居暮らしをすることを考え始めるのだ。  しかし、柴崎の子は孝之一人きりだったから、跡を取るべき者がいない。もう少し早く養子を取るなりすればよかったのだろうが、それはなんだか嫌で、愚図愚図と理由をつけては避けてきた。しかし、そうしているうちにこれ以上は引き伸ばせないような歳になってしまい、ようやく柴崎も重い腰を上げた。  が、やはり心の底では嫌だと思っているからなのだろう、養子探しはそうそう上手くはいかなかった。ゆくゆくは穀潰(ごくつぶ)しになるしかない武家の次男・三男は吐いて捨てるほどいるのだけれど、柴崎の気性に合うような人物はいなかった。柴崎の気性と合わぬということは、つまり例繰方の役が向いていないということで――柴崎は、そのような人物に例繰方与力という役を預ける気にはどうしてもなれなかった。  もう、柴崎家は己の代で絶やしてしまおうか――そんな罰当たりなことを考えていた折、久方ぶりに駒野屋から遣いが来た。柴崎の悩み事の力になれるかもしれない、ということだったから、柴崎は仕事帰りに駒野屋徳兵衛に会うことにした。実に、十年ぶりの会合だった。  柴崎の悩み事と言えば跡目のことくらいだったから、誰かそれなりの人物を紹介してくれるものと思っていたのだが――この予想は、ある意味当たりである意味外れだった。  徳兵衛は己の息子、徳一郎を養子にしてはどうかと提案したのである。  徳兵衛の言うことには、今の柴崎と徳兵衛は身分こそ違えど、元は双子の片割れとして生まれたもの同士――ならば、無理にどこか別の武家から養子を取るよりも、血縁のある徳一郎を養子にしたほうが柴崎家にとってはよいのではなかろうか、ということだった。  しかし、徳一郎は駒野屋の跡取り息子だ。その徳一郎を養子に出しては、駒野屋が困るのではないか。柴崎がそう問うと、徳兵衛は笑って言った。そうなれば娘に婿を取らすだけのこと、柴崎様のお役に立てるならば、それくらい瑣末(さまつ)なことで御座います、と。  柴崎は、なんだか妙な気分だった。血縁。そう、徳兵衛と柴崎は兄弟なのだ。そして、徳一郎は甥になる。ならば、どこの馬の骨ともつかぬ者を家に入れるよりも、徳一郎を養子にするのが良いのかもしれない。  柴崎が迷っていると、徳兵衛は先回りしてこう言った。養子云々はお家にとって重大な事柄で御座いましょう、お返事は後日ということでかまいません、と。  その言葉に甘えて、柴崎は結論を出さぬまま屋敷へと戻った。そして高にその話をしているうちにだんだんと心が決まってきて、最後にはこう言った。私は、この話を纏めてもいいと思っている。  すると高は、驚いたように目を瞬かせた。今まで柴崎が散々養子を取ることを渋っていたのを高はよく知っていたから、本当に驚いたのだと思う。その証拠に、いつも高はぽんとすぐ言葉を返すのに、このときばかりは口元に手を当ててしばらく黙ったままだったのだから。  どう思う――柴崎に問われて、ようやく高は口を開いた。  そう、ですわねえ――何分(なにぶん)、急なお話でしたから。少し、考える時間が欲しゅう御座いますわ。  それもそうだ、と柴崎は思い直して、その日は少しいい気分で眠りについた。  そして、翌朝。 「高が、私の枕元に来て――孝之が帰ってきたと、そう言ったのだ」  今から三日前のことだった。  高は、柴崎の枕元に座って微笑んでいた。その笑みは、平素(いつも)の高とどこか異なっていた。普段の高は、何歳(いくつ)になっても娘のように笑う人だったのに、そのときは――なんというのだろう、心の奥底では笑っていないような、いや寧ろ、心の中がになってしまったような、空っぽな笑みだった。  孝之が帰ってきましたのよ、あなた。  別人の顔で、高と同じ声で(つむ)がれた言葉を、柴崎は(にわか)に理解することが出来なかった。訳のわからぬまま高に連れられて庭へ出て、高が指差すほうを柴崎は見た。  ほら、そこに。  柴崎が気に入っている、二間(にけん)四方の小さな藤棚。生い茂る葉は春の朝日を柔らかに抑え、散った花弁が影の中に色を添えている。ああ、そろそろ野木瓜(むべ)が咲き始めようか――柴崎は、ぼんやりとそんなことを思った。  それだけだった。  もう一度、柴崎は見た。それでも、高の指差すそこには藤の花が揺れているだけで、一緒に植えた野木瓜が蕾を膨らませているだけで――孝之の姿など、何処にも見当たらなかった。  そのうちに、高が柴崎の隣からふいといなくなった。半ば駆けるようにして藤棚へ向かう高の後ろ姿を、柴崎は(まばた)きもせず見送った。  高は笑っていた。何も無い虚空に向かって、親しげに話しかけていた。  まるで、そこに孝之がいるかのように。 「そのときは……何が何やら、わからなかった。悪い夢でも見ている気分だった」  柴崎は考えた。高は、嘘を吐くような人間ではない。それだけは絶対に間違いの無いことだ。それならば――そこに、孝之はいるのだろう。見えているのだろう。  高の目には。 「高は、遠くに行ってしまったのだと、そう思った」  理由などわからない。あまりにも急すぎる。でも、高はもう――柴崎と同じものを見てはいないのだ。(くう)と楽しそうに話をして笑う高の姿を、柴崎は呆然と見つめていた。  しかし、その考えが間違いだと知ったのは、その直ぐ後の朝餉(あさげ)の折だった。当たり前のように三つ並べられた膳を見て、柴崎は思わずその場に立ち尽くした。朝餉の支度は下女の仕事、膳を運ぶのは女中の仕事――それなら、ここに三つの膳があるということは、つまり、  孝之は、本当に帰ってきている。ただ、柴崎にだけ――見えない。  おかしいのは、柴崎のほうだった。遠くに行ってしまったのは、高ではなくて柴崎だった。  一体、どうして。 「それで、私は思い出した。孝之は、誰かに殺されたようなものだと。そして、それを知っているのは私だけで――私があのときしっかりしていなかったから、それは有耶無耶になってしまった」  だから、柴崎には見えないのだろう。孝之は、柴崎の手によって二度殺されたようなものだから。  でも、と柴崎は、この三日間思い悩んだ。柴崎を恨んでいるのなら、何故孝之は帰ってきたのだろう。それに、何故今なのかも解せない。だから、もしかすれば――本当に(わず)かな可能性ではあるが――見えないことで、孝之は柴崎に何かを訴えているのかもしれないと思うのだ。孝之の最期の姿を知っているのは、柴崎だけなのだから。 「だから、私は――」  柴崎は、そこで一度言葉を切った。いつの間にか(うつむ)いていた顔を上げると、耕助が相変わらずの読めぬ瞳でこちらを見ている。  大丈夫だ。新介が言っていたではないか、頼まれた分はきちんと働くと。  意を固めなければ。柴崎は、再び口を開いた。 「――私は、十年前の出来事のあらましを知りたい。そこをどうにかしなければ、今こうして孝之が戻ってくる理由はわからぬと思うのだ」  無茶な頼みだというのはわかっていた。十年も前の出来事を調べてほしい、などというのは。でも、柴崎は――どうしても知りたい。知らなければならぬのだ。  柴崎が、ぐっと身を硬くしたときだった。 「――いいでしょう、お受けいたしやすよ」  存外にあっさりと、耕助は了承の意を示した。しかし、柴崎がほっと息を緩めかけたところで、耕助は待ったをかけるように右手を挙げた。その指先で煙管(きせる)がくるりと回る。 「一つ、お聞きしますがね。柴崎様」  射るような視線に、柴崎は居住まいを正した。 「こういう依頼(はなし)は、知りたくもねえ裏の裏まで暴いちまうってえことが往々にしてあるんで御座いやすよ。今座ってるその地面が全部崩れ落ちるような、どろどろに腐ったもんが埋まってることだってある」  耕助は淡々と言葉を紡いだ。これを新介が聞いていたらきっとまた怒るのだろう――客を(おど)しつけるな、と。  でも、ここに新介はいない。  そんでもって、と耕助は先を続ける。 「これまでのお話を鑑みるに、柴崎様の足元にはもう二度と見たくもねえようなきったねえもんが埋まってるこたあ間違いねえでしょう――今回のは、そいつを手前共に掘り起こして欲しいってことで相違御座いませんね」  そこまで言って、耕助は柴崎を見た。耕助は、柴崎の中の(かす)かな迷いを見抜いている。だからこうやって、わざと粗雑な言い方をして柴崎に問うのだろう。  今ならまだ引き返せるが、どうするのかと。  柴崎は目を伏せた。屋敷に戻れば孝之がいるかもしれない。今度こそ、柴崎にも見えるかもしれない。いやそれどころか、高良川に流されても孝之は奇跡的に生きていて、これまでずっと柴崎家に戻ることを心から望んでいて、十年の時を経てやっと帰ってこられたのかもしれない。柴崎に見えなかったのは、顔を合わせづらくて隠れていたからかもしれない。  そんな馬鹿みたいな想像を、柴崎はもう何度したことだろう。  でも、違うのだ。柴崎は知っている。孝之は死んだ。殺されたのだ。  そのことから、目を逸らすことなど出来ようか。  柴崎は、顔を上げた。 「――相違ない。全て包み隠さず、掘り起こしたものはみな私に見せてほしい」  この言葉に、耕助はこの場で初めて笑みを浮かべた。その表情は、まあ――仏頂面でいたときよりもずっと、鬼に似ていたのだけれど。  煙管を指に挟んだまま、耕助はぴしりと己の膝を打った。 「そんじゃ決まりで。一丁、柴崎様をお助けする算段をしますかねえ」
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