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「あのね、私たち付き合うことになったの」
恥ずかしげにそう言った友人の顔を、私は直視できなかった。
「『ことになった』じゃなくて、まさにいま付き合ってるだろ」
友人の隣に立つ彼が、からかうように彼女の顔をのぞきこんだ。
二人のやりとりを見ていると胸が痛い。
自分が一回り小さくなったような気分だった。笑顔を交わす二人がひどく遠い。
私はそっとうつむいた。
そのあとの会話はよく覚えていない。良かったね、とは言ったような気がする。お似合いじゃん、と言えたかどうかまではわからない。
友人に声を潜めて謝られた気もするが、もう何も覚えていないし、覚えていたくもなかった。
二人と別れてから荷物を忘れていたことに気がついた。急ぎ、教室に戻る。
教室の扉を開けると、そこには一人の生徒がいた。
肩には少し届かないストレートの髪に、凛とした顔立ち。切れ長の目が意思の強さを示している。
待っていたのは、私の悪友だった。先程の友人よりも付き合いだけは長い。腐れ縁だった。
彼女は私の顔を見ると、開口一番、
「失恋、おめでとう」
他に人がいないから良いもののーーーいや、やっぱり良くない。
私は、涼しい顔で暴言を吐いた悪友にふさわしい言葉を返した。
「最低」
「はは、言ってくれるね」
彼女は軽く笑った。
いつもこうなのだ。小さいときから何も変わらない。
「前から言ってるけど」
私は努めてゆっくり呼吸してから言った。
「人の神経を逆撫でするような言動は、やめるべきだと思うの」
「ふうん。でもあたしはそうは思わないな」
彼女は薄い笑みを浮かべた。
「嫌な相手に対しては、効果抜群だから」
「……嫌な奴で悪かったわね」
「そうじゃない。きみに対するあたしの言葉は常に本音だから。嫌な相手っていうのは、きみを除いた全員だよ」
「ふざけないで」
「ふざけてないよ。本気だって」
私はなんだか馬鹿々々しくなって、わざとらしくため息をついた。
そのときにふと、さっきよりも気分が軽くなっていることに気が付く。
「気分は落ち着いた?」
そこに、すまし顔でわかったようなことを言う悪友。
今の発言で悪くなったと言ってやりたいところだけれど、ここは我慢した。
「まあ、最悪ではないけど。それより『失恋おめでとう』はいくらなんでも失礼だから謝ってよ」
「それはできないな。失礼かもしれないけど、紛れもなくあたしの本音だから」
言い返そうとした私を射すくめるように、彼女はこちらを静かに見つめた。
「きみだってわかってるでしょ」
「……何のこと」
「しばらく彼氏作らない宣言をしてたあの子がさ」
「……」
「あのチャラ男と急に付き合い始めた理由」
「ちょっとねえ、やめてよ」
「わかってるんでしょ。部外者のあたしだってわかるもの」
胸の痛みがぶり返す。
私が遮ろうとしても、彼女の口は止まらない。
「あの子は本当にチャラ男が好きなわけじゃない」
「やめてってば!」
彼女は少し憐れむような眼差しをしていた。そしてとうとう、私が目を逸らしていた事実が突きつけられる。
「あの子はきみの想い人をかすめ盗って悦に入ってる」
「……」
「あの子のことは詳しくないけど、善人でないことだけはわかる。『友人』がつい先日好きだと話していた男を彼氏にしようとする度胸は、まあ、尊敬するかな」
それから、つまらなそうに彼女は言った。
「やめた方がいいよ、あんな奴ら」
奴、ではなく、奴ら。
「佐野君は」
「前から言ってるけど、あの男はやめときなよ」
「あなたに佐野君の何が……!」
「あたしは彼の良さが何もわからない。でもきみだって彼の短所を何も知らない」
私は黙るしかなかった。
「きみは親切にされてたのかもしれないけど、私は彼の良い噂を聞かない。あの子の告白を受け入れたこと自体、彼が見る目のない男だっていう証明になってるわけだし」
「え、ちょっと」
そこでようやく私は声を上げた。
「あの子の告白ってどういう……」
「そのままの意味だよ」
悪友は、ここにいない誰かを蔑むように柳眉を歪めた。
「彼に好意を持っていると教えられてから、彼女は自分からその相手に告白したんだ。要するに」
ここまで言って、彼女は私をその綺麗な瞳でまっすぐ貫いた。
「きみが相手にする必要のない屑だ」
放課後の淡い陽光を背にした彼女の言葉は、たぶん、そのとき私の心を救った。
「……そんな言い方ばかりしてると、嫌われるよ」
泣きそうになるのをこらえながらそう言っても、悪友にはまるで響かないらしい。
「きみに嫌われなければ全然良いさ」
それから、彼女は無駄に綺麗な顔面にいっぱいの笑みを浮かべて、こう言うのだ。
「あたしはきみが一番だから」
「……何それ。告白みたい」
「告白だよ。ねえ、あんな男じゃなくてあたしに乗り換えない?」
私は、何となく窓に目をやるふりをしながら言った。
「ふざけないで」
そして、何か言いかけた悪友に、こう言ってやるのだ。
「もう乗り換えてるし」
「……え」
悪友の驚いた顔が珍しくて、横目で見ていた私は思わず吹き出した。
そして、忘れていた荷物を片手にとった。
もう片方の手で、彼女の腕をとる。
「暗くなるし、帰ろうよ。付き合うんでしょ?」
さらにからかってみたものの、彼女はやはり悪友でもあり、立ち直るのが早かった。
「付き合う、じゃなくて、もう付き合ってる。って言えば怒る?」
どこかで聞いたような台詞。けれど、今度は私の胸は痛まなかった。
悪友の言葉は強くて人を傷つけかねないのに、なぜか私のことは不器用に優しく助けてくれるのだ。
私は、少し悔しさを覚えながら、大事なひとに笑いかける。
「ううん、全く!」
言い切った途端、失恋の痛みが遠ざかり、胸に暖かい歓喜が湧き上がってきた。
そこには、失恋万歳、新たな恋万歳、と心の中で快哉を叫ぶ自分がいた。
【了】
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