おめでとうございます

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 先生か、親か本か、テレビの教育番組か。言われなかっただろうか?「損得で友達を選んではいけません」と。それを地でいってしまった僕は大人となった今、その言葉にはちょっと賛同しかねるかもしれない。  僕は友達が少ない。自覚はないが、マイペース過ぎたり空気を読まなかったりが原因だとは、よく言われる。その僕の数少ない友人に、上島(うえじま)というのがいる。彼と僕とは中学生の時に知り合い、以来十年以上付き合いが続いている。上島もまた友達の少ない男で、僕は彼のすべてを知っている訳ではないが、僕の知る限り彼にとって友人と呼べる人間は、僕以外にいないのではないだろうか。そして、その原因は僕の場合よりもはっきりとしている。  ある休日の昼前、その上島から電話があり、僕は近所のファミリーレストランに呼び出された。僕は家を出る前に、持っていく財布からカードと紙幣を抜いた。それから少し考えて、万札三枚を財布に戻した。あくまで甘い自分に腹が立ったが、もう習性になってしまっているとしか言いようがなかった。  僕が指定された店に着くと、上島は先に来ていて涼しい顔でコーヒーを啜っていた。僕はその時点で、もう悪い予感が当たるだろうと確信した。彼はもし自分の懐が具合がそれなりであれば、レストランに来て飲み物だけで済まそうとはしない。必ずステーキなりハンバーグなり高カロリーなメニューを注文する。  僕の姿を見つけた上島は、「よう」と勝ち誇った笑顔で手を挙げた。この後人から金を借りる態度にはとても見えないが、そこは僕の友人の上島くんである。  向いの席に座った僕に、上島はいつもの自然な仕草でメニューを渡してきた。その様子さえ、今日の僕には胡散臭げに見えた。僕は上島に最もプレッシャーをかけられるメニューは何かと考えたが、そもそもがコミュニケーション下手で駆け引きなどできない僕である。素直にメニューの中で一番魅力的に見えた空揚げ定食を注文した。それから僕は席から立ち、水を汲み席に戻り、お手拭きで手を拭き、スマートフォンを取り出しゲームを始めた。 「あのさ、なんか聞かねぇの?」  存在しないのと同等の扱いを受けた上島が、僕に話しかけてきた。 「なんかって?」 「なんで呼び出したか、とか」 「別に。興味ないから聞かないよ」  懐にある三万円が、僕に負け惜しみの意地悪を言わせた。言われた上島は一、二分黙っていたが、残り三分の一だったコーヒーを飲み干した後、変に落ち着いた様子で言った。 「めでたいことがあったんだ。最近」  僕のスマートフォンを弄っていた指が止まった。めでたいこと。二十代半ばの社会人独身男に起こる「めでたいこと」とは?  響きからして一般的な間隔で思い浮かべるのは、結婚か、パートナーの妊娠だろうか。しかし、最近付き合っていた恋人から愛想を尽かされ捨てられたばかりの上島には、その可能性は低い。  私生活ではなく仕事関係か。たとえば、昇進。いや、遅刻や無断欠勤を頻繁にやらかしているらしい彼に、解雇の可能性はあっても昇進の話は来ないだろう。  ……本当は、僕が他の可能性を考える必要などなかった。彼が「めでたい」「ラッキー」などと言い出すのは、例の方面に限ってのことだ。 「競馬?競輪?ボートレース?パチンコ?え、もしかして宝くじ?」 「お前、俺をなんだと思ってるんだよ。人をギャンブル狂みたいに」 「これまで大負けして生活費すって、何度僕から金借りた?」 「……」  上島は無言で窓の外を見た。その様子で、僕は全てを察した……気になった。 「ネットで検索してたらさ」 「うん?偽のインサイダー情報でもあった?」 「そうじゃなくて、突然出てきたんだよ。『おめでとうございます』って画面が」 「詐欺サイトだな」 「詐欺サイトだ」  一瞬、ギャンブルですったよりはマシかと思ってしまった自分に、僕は軽く絶望した。 「入園卒園、入学卒業、合格、成人、就職……後は俺らはまだだけど結婚とか子供の出産とかか?言われたらそこそこ嬉しいのに、意外と『おめでとう』って言われる機会少ないよな。実際に俺、最近言われてなかったし」 「だからってさぁ」  時流に逆らってでも、年明けに上島に年賀状を一枚送ってやればよかったと、僕は悔いた。いや、「明けまして」に続く「おめでとう」では効果は薄いか。 「だから、そんなこともあって思ったんだよ。機会があるなら、その都度『おめでとう』しとこうって。誕生日おめでとう」 「うん?」  僕は尻ポケットから財布を取り出す直前の姿勢で、今聞いたばかりの言葉の最終盤を脳内で反芻した。そうしている間に、店員がこちらに近付いてきた。 「お待たせいたしました。空揚げ定食のお客様は?」 「彼です」 「失礼します」  つつがなく配膳を済ませた店員が席から離れた後、僕は上島に向かって囁いた。 「びびった。あのタイミングで来たから、花火刺さったケーキでも出されるかと思った」 「そんなの頼まないって。そういうの一番嫌いだろ?あ、その定食は俺の奢りな。プレゼントの代わり」  上島はいろいろと困った友人で、それは間違えない。だが、僕の最も勘弁してもらいたいことには踏み出さない男だ。そして、認めたくはない部分ではあるが、僕がちょっとした淋しさを感じている時に、彼は何故か絶妙なタイミングで過不足なく寄り添ってくれる男だ。だからこそ長い間付き合いが続いているし、だからこそ僕は彼に度々困らされている。  上島が仕掛けた、彼の日頃の人徳を駆使した中途半端なサプライズ。それにまんまと引っ掛かってしまったことに悔しさを感じつつ、僕は安心しきって空揚げに箸を付けた。 「そもそも今、ケーキなんて用意できないからな。預金全部持ってかれちゃったし」  僕が持った箸の先から空揚げが落下した。幸い、落ちたのは白飯の上だった。
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