後でしか悔やめない

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 「話って」 早く片付けたくて、ベランダから中に戻ったところから声をかけた。 「友人はいいものですね」 なんのことか聞き返す間もなく、山橋の弟は平たいリュックから一冊のコミックを取り出した。 「あなたのデビュー作、僕の友人が持ってました。『遅すぎる明日』」 だからなんだ。しゃべり方も声も抑揚がなくて、外見は似ていても、性格はそうではないようだった。兄は、顔に書いてあるという表現がぴったりでわかりやすかったのに、弟の表情はほとんど動かない。とっかかりがなくて、なんのつもりか見当のつけようがなかった。サインが欲しいくらいならすぐ書いてやるのに。秒で済むのに。 「突然、兄を喪ったので。ずっと部屋もそのままだったんです。少しずつ、母が整理を始めて、たくさんのノートを見つけました。それで、最近になって、兄が結構本気で漫画家になりたかったことがわかりました。あなたは知ってましたか」 確認の視線を向けられて、軽く相槌を打つ。もともと漫画友達だ。一年のときに同じ漫画にハマってて、意気投合して、二人漫画研究会を作って読み漁り、マネして絵を描いて、学校じゃ毎日そんなだった。思いついたらすぐメモできるから、と山橋は授業中もそれ用のノートを机に広げていた。あいつにかかると不思議なくらい、最初はよくある日常の一コマが、頭に取り込まれ想像に想像をぶちこまれたあげく、笑顔や涙を誘うエピソードに化けた。漫画以外のことは引っ込み思案で、オレのほかに友達いなかったし、家族には内緒で描いてることも聞いていた。 「兄のノートにも、これと同じタイトルの作品があったんです」 「は?」 不意をつかれて声が出た。まさか。ありえないだろ。ところが、弟が突きつけてくるノートの表紙には、本当に『遅すぎる明日』と書いてある。ウソだろ。思いもしない衝撃に視界の白黒が反転した。血の気が引いて冷えたはずの手のひらに汗がにじむ。
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