15.押しも押されぬ

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15.押しも押されぬ

 指先に人肌の熱を感じる。彼ら犬狼族の体温は人間種(わたしたち)よりも普段から2℃ほど高いと聞いてはいたが、その通りだった。  雑念を振り払いながら指先と手のひらに力を込めると、地肌の更に下、分厚い筋肉がうねるのに触れた。  うろおぼえのハウツー本のページと、過去に別の人から褒められた動作を思い出しながら揉みほぐす。いつもより低い声で気持ち良さそうに唸るのが聞こえた。  まずは首から肩、それから背中。日頃の鍛錬の賜物か、凝り固まっている感触はほとんどない。むしろわたしの肩の方が石でも詰まっているみたいだ。マッサージの必要性はあんまりなさそうだなと思いながらも、当人は気持ち良さそうにしているのでそのまま続けることにした。  そうしながら、いつも夕食の席でそうしているように、昼間の出来事について聞くと、今にも寝入ってしまいそうな柴本の声が返ってきた。  **********  店舗経営に関するアドバイス。ここ数日、商店街で柴本が手を付け始めたことを一言で説明するならばそうなるかもしれない。  コンサルタントの業務に近いようだが、そこは理屈で考えるより手を動かした方が早いと考えるこの男である。実際に短期間のアルバイトとして店で働きながら、改善点を洗い出すスタイルのようだ。  店主達から話を聞くだけでは見えてこないところがあるのだと、柴本は言う。  だから、実際に店で接客や洗い場、ときには調理の補助まで行い、掃除の仕方や動線その他の問題を見極め改善策を一緒に考える。  排他的なきらいのある逆泉商店街の店主たちの心を掴み取るには、効果的な手段だった。    口だけでなく、実際に行動。それも、普通ならば一番手を付けたがらない部分を率先してやろうとする。信頼を集めるのも当然である。ただ、柴本ひとりで商店街の店舗すべてを見るのはさすがに困難なのだろう。まずは飲食店に絞っているようだが、それでも難航しているようだ。  手伝ってあげたいところだが、恥ずかしいことに体力面ではまったく自信がない。  以前、興味本位で柴本が日課としてこなしているトレーニングに同行してみたところ、ものの5分で音を上げることになってしまった。おまけに肉離れを起こしてしまい、彼に日課を中断させて病院に運ばせるという体たらくであった。  これに関しては何も役に立てそうなことを詫びると、しかし 「何言ってんだよ。お前がいなきゃフリーペーパーだって作れなかったんだ。あれ、大絶賛だったぜ? まぁ、最後にあれこれ口出しはしたけど、最初に文章考えたのお前だろ? もっと誇れよ」  そうだね。ありがとう。礼を述べながら揉みほぐす手を背筋から腰の方向へとずらしてゆく。 「次も楽しみにしてるってよ。頼むぜ編集長」  もう違うよとわたしは返す。今後は商店街の有志一同による文芸部が主となって作ることになるだろう。そう遠くないうちに、わたしの役目はなくなる筈だ。少し寂しい気はするけれど、それで良いのだと言葉に出さず言い聞かせる。  そういえば――と、昔読んだ雑誌の紹介記事を思い出す。  尻尾まわりの太い筋肉を揉みほぐすとって、前に読んだっけ。 「あ、ちょっと待て――!」  余計なお節介をするわたしも疲れていたのだろう。そういうときには大抵、日頃はしないようなをやらかす。  そうしてわたしは、部屋から追い出されたのだった。  
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