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23.言葉はもう追い付けない
「そっか」
わたしの話を全て聞いて、柴本は小さく頷いた。
「ありがとな。教えてくれて」
また沈黙が満ちた。
今までため込んでいたものを打ち明けてスッキリとした気分の中に、言ったことに対する後悔の念が滲んで、急激に広がるのを感じていたとき。
突然、柴本は椅子から立ち上がって、座ったままのわたしをぎゅっと強く抱きしめた。
太くて逞しい腕と分厚い胸板に挟まれる。心音が早い。平時でも人間より少し高い、獣人――犬狼族の体温。
以前に好きだと言ったシャンプーが微かに香る。ちょっとだけ汗くさいけど、決して嫌ではない。
「ごめん。なんか言葉が見つからなくって」
声が震えているのが彼にしては珍しい。
「嫌だったか?」
いつもは匂いで考えていることを先回りするところを、敢えて言葉で聞いてきた。
それを胸板に顔を埋めたまま、首を横に振る――否定。
「頼みがあるんだ。嫌じゃなきゃの話なんだけどさ」
頷く――肯定。
「これからもずっと、一緒に暮らそうぜ。今の生活、毎日ホントに楽しいんだ」
また頷く。わたしもだいたい同じ気持ちだよ。
「お前の話、もっといろいろ聞かせてくれよ」
どんなことを? 顔を上げて問う。話せることは大方話したつもりだった。
柴本は涙の痕の残るわたしの頬に、舌をそっと這わせた。あたたかい感触が染みるように心地良くて、目をつぶる。
「会話ってのは言葉以外でも出来るんだ。むしろおれはそっちの方が得意で――なんだよ」
なんか頑張って上手い事言おうとしているのがおかしくて、つい笑ってしまう。
「無理にとは言わねぇよ。疲れたよな。今日はこれでお開きにするか?」
急に訥々とした口調で目線を宙に泳がせ始めるのが、堪らなく愛おしく感じた。
再度、彼の厚い胸板に顔を埋め、太い胴に手を回して抱き返す。
まだ今日を終えたくない。
**********
報告の義務が生じるような事態は起こっていない。とだけ言っておく。
ただ、この日の出来事を、わたしは絶対に忘れたくない。
翌日も平日で、仕事があった。
けれども、まだ傷跡の生々しい同居人が気になったので、仮病を使って仕事を休んだ。
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