7.同じシンボル、違う意味

1/1

66人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ

7.同じシンボル、違う意味

 その週の土曜日は、朝から好天に恵まれた。  抜けるように晴れた空から降り注ぐ日差しには暑さを感じるものの、風には湿り気が少なく、とても過ごしやすい。  けれども、通りには人が少ない。  家族連れのお出かけ先は、郊外にあるショッピングセンター、ネオンモールと相場が決まっている。  わざわざ寂れた商店街に立ち寄る物好きなど珍しい。  街路樹からは、9月に入ってもなお、しぶとく鳴き続けるセミの声が聞こえる。皆、生きるのに必死なのだ。 「おれ、この店でメシ食ったことねぇんだよなぁ」  わたしの隣で柴本が、ため息交じりに呟いた。やる気の無さが顔に出ている。  いつもはぴんと立った三角耳は、今はしんなりと垂れている。巻き尾はほどけて垂れ下がり、ゆったりと緩慢な動きで地面近くの空気をかき回している。    失礼があったらダメだからね? 「わーってるよ」  諫めるわたしに欠伸交じりで言葉を返す。  この男の裏表がなく分かりやすい気性は、ルームメイトあるいは友達付き合いでは長所となりうるが、一緒に仕事をする上ではどうにも不安要素である。    目の前にある猩々軒の建物を見上げる。  間口が狭く奥行きの長い、いわゆる"うなぎの寝床"のような店舗兼住宅が軒を連ねる逆泉商店街のなかで、猩々軒は他の店の倍近くの広さを有している。    鉄筋コンクリート造りで3階建ての建物である。外壁はひび割れ、塗装のほとんどが剝げ落ち、ところどころに赤サビが浮き出ている。かつてはその名の通り、鮮やかな朱赤で彩られていた建物は、この商店街が活気に溢れていた頃はシンボルだった。  象徴という意味では、現在もまぁ機能していると言えなくもない。往時から時間が止まったかのように無気力で、朽ちて滅びるに任せる姿は、商店街の行く末を暗示させるのに充分すぎる。    店の真正面にある大時計は、かつては2時間ごとに音楽を奏でて住人や来訪者に時を報せていたと聞く。それが今やすっかり錆びついて、長針と短針はぴくりとも動かない。今の時刻は11時ちょっと前なのに、時計の針は4時15分くらいを指し示したままだ。    どうしよう。見れば見るほど不安が押し寄せてくる。一体これをどうやって記事に仕立てたものか。わたしが考え込んでいると 「よーっし、行こうぜ」  風を切って大股に歩きだす柴本に続いて、仕方なく店の中に入った。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加