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8.根も葉もないとは言えない話
ぎぃと音を立てる重たいガラス扉を潜った先は、広々としているが薄汚れた――否、確実に不衛生な店内だった。
いくつかのボックス席のほか、厨房をL字型に取り囲むようなカウンター席がある。
掃除が甘いのか、床のところどころにうっすらホコリが積み重なっている。座面に赤い合成皮革の貼られたボックス席も、うっすら白っぽく見えるのがどうしてなのかは考えたくない。
窓際に置かれた観葉植物はどれも枯れ果てていて、『たべメモ』での評判通り――いや、むしろマイルドに表現されていたのだと思い知った。
「こんちわー! 園山さーん! 今日はよろしくー!」
「ん」
柴本の声に店主である狒々族の壮年男性が、やる気なさげにカウンター席を指差した。
彼が着ているのは元は白かったであろうコックコート。今は灰色や茶色のまだらに染まっている上にヨレヨレのボロボロだ。
「あっちだってさ」
柴本に促され、諸々を諦め席に向かう。どうやらカウンターはそれなりに拭き掃除がなされ、スツールもホコリが積もっていたりはしないようだ。
どんどん低くなる評価のハードル。
でも、これを宣伝記事にするのは間違いなく神業だ。
「ほい、お待ちどうさん」
店主の園山が料理を持ってきた。ラーメンとチャーハン。牛族や熊族の巨漢でも食べきれるか怪しいボリュームだ。
器に指がずぶりと浸かっているのが見えて、どうしようもない嫌悪感が湧いてくる。指の脂が味の決め手とは。
金を払ってこれを食うとかマゾヒストでも逃げるよね。
おまけに厨房に立つ料理人とは思えない香水のキツさ。
品よく微かに香るのではなく――真っ当な料理人ならそれすらアウトの筈――、トイレの芳香剤をバケツ一杯ほど頭から被ったとしか思えない。
そもそも、この匂いは――いや、やめておこう。
人間であるわたしですら食欲が失せるくらいだ。隣の柴本の様子を横目でちらりと見る。
ところが、匂いなど気付いていないかのように朗らかな笑みを浮かべているので、危うく割り箸を落っことすところだった。
一緒に暮らし始めて1年と数か月。バカ正直かと思った同居人がポーカーフェイスを習得していることを初めて知った。
すごい! わたし的にはこっちの方を記事にしたい!
「旨そうだなー。冷めねぇうちに食おうぜ」
うん! とっても美味しそうだね! 柴本に促されるまま箸を付ける。えぇいままよ!
いただきま――――――――うん、不味い。
一口食べたラーメンのスープはただただしょっぱく脂っこく、麺は茹ですぎてブヨブヨ、箸で掴むと千切れそうだ。サービスのつもりなのか量が多い。
チャーハンもだいたい同じで、塩! 油! 化学調味料! 以上! みたいな潔さだ。
横目で柴本を見て、また驚いた。ちゃんと食べてる!
「ほら、早く食わねぇと麺が伸びちまうぜ」
食いしん坊で食べ物には結構うるさい柴本が、不味さなんかおくびにも出さずにラーメンをやっつけに掛かっている。
しょっぱくて高血圧まっしぐらなスープを飲み干すと、次はチャーハンだ!
レンゲを手に一心不乱で食う! 早い!
柴本早い! 柴本すごい!
おーっとここで完食だーっ!
「ふぃー、ごっそさーん。なんだよ食わねぇのかよ。貰っちまうぜ」
まだ半分以上残っているわたしのラーメンを奪い取ると、瞬く間に食べきった。
ごめんよと心の中で謝りながら、冷めたチャーハンをどうにかやっつけたのだった。つらい。
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