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仕事帰りに寄ったパティスリーで選んだのは、小さな丸い苺のタルトだった。宝石みたいにひかる苺が素敵。最初から一人用に作られたケーキがよかった。カットしたショートケーキは、なんだか気分にそぐわない。
一人暮らしのダイニングテーブルは小さい。実家のものに比べておもちゃみたいに小さなテーブルと、二脚の椅子。自分用と、もう一つ。いつもは気に留めないその空白が、なんだか寂しく思えた。ふと見ると、チェストの上に座っている熊に目が留まった。動物園で買った熊のぬいぐるみ。テディベアみたいな子供の相棒としての愛らしさよりはややリアルによった熊のぬいぐるみだ。何年か前。何年前だろう。動物園で、当時の彼氏に買ってもらった。すっかり部屋の風景になっている。
三十歳の誕生日は、彼にお相伴してもらおう。
「どうぞ」
「お邪魔します」
地声より少し低い声で熊の台詞を言うと、正面に座らせた。
「お誕生日おめでとう」
熊のふりをした私。
「ありがとう」
私。
三十歳にもなって何を、と思うけど、誰も見てないからいいじゃないと思う。誕生日にまで、身についた自虐なんてしたくない。
「今日も仕事だったのかい」
熊の台詞。
「そうだよー。誕生日だからって休めるわけじゃないし。責任も重くなってきたし」
私の台詞。
「いつも頑張っているね」
これは、誰の言葉だろう。熊と私の、ちょうど中間ぐらいの高さの声。
「いつも頑張っているね」
もう一度言ってみる。私の声。そう。いつも頑張っている。
「お誕生日おめでとう」
自分にそう言う。自分のお給料で買った、小さな可愛い苺のタルト。その向こうで椅子にきちんと座った熊が、私に微笑みかけてくれた気がした。
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