二章

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「ねぇ。今から海、連れてってくれないかな」  その話を聞いたあと、僕は無性に海が見たくなった。ベランダから見えるという理由であのアパートを選んだのに、そう言えば一度も見に行ったことがないのを思い出したのだ。  仁紀さんに車を取りに行ってもらって、夜の海に向かった。穏やかな内海の先は月に照らされた太平洋だ。水平線は闇に溶け込み、果ては見えないほど遠い。  二人とも一言も喋らず、少しだけひんやりとした夜風に当たりながら海辺を歩く。誰もいない海岸に、波の音だけが響いていた。  仁紀さんの向かう派遣先は、この海をずっと南下した先、鹿児島空港から飛行機で南へ一時間半ほど。さらにフェリーに乗り換えてようやく到着する離島だそうだ。 ──遠いところだ。 「どれくらいの期間行くの?」 「期間は三年。でも希望すればそのまま継続出来るんだ。いずれは他の僻地にも行ってみたいし、多分もうこの街に住む事はないと思う」    海を見ながらそう話す仁紀さんの横顔は、迷いがなく凛としていた。やりたいことが見つからないと悩んでいたあの頃とは違う顔。  僕はその顔がとても好きだ、と思った。 「ハルにもう一度会えて、ハルが夢を実現させていく姿を見て、オレも頑張らなきゃって思えたんだ。ハルのおかげだよ」 「僕じゃないよ、仁紀さんが最初から持ってたものだよ」 「……ハル」 「僕はここで、仁紀さんが育ったこの街で、みんなのために頑張る。だから。仁紀さんも、頑張、れ……」 ──笑顔で、言いたかった。  笑顔で応援して、笑顔で送り出したかった。だけど。 「ごめん。ごめんな」 「……僕の方こそごめん。こんな、泣くつもりじゃ」 「せっかく会えたのに……ごめん」  そっと頭を引き寄せられ、仁紀さんの胸の中に収まる。戻れないと思っていた暖かい場所が、ここにある。  僕はまた仁紀さんに謝らせてしまうな。仁紀さんの決めた夢なら、僕が泣く理由なんてどこにもない。泣くのはもう止めよう。この先もずっと笑っていこう。 「オレはいつもハルを泣かせるから。守ってやれないから。別れようって今日、言うつもりだっ」 「ちょっとちょっと。何言ってるの、別れないよ?」 「ハル?」 「……ねぇ知ってる?僕はもう守ってもらうほど弱くないんだ」  今度はちゃんと笑って言えた。うん、僕が仁紀さんを幸せにするよ。どんなに離れてても。だから頑張ってきて。  腕から抜け出し、僕は仁紀さんを抱きしめた。 「どこにいても、愛してるよ」 「……ハル、カッコいいな。惚れ直したわ」 「でしょ?あの頃の僕とは違うんだって、分かった?」 「分かった。ハルの言う通りだ。あの頃とは、違うんだな」  僕より目線ひとつ高い仁紀さんを見上げ、ゆっくりと唇を重ねた。 「ハルからキスなんて、珍しいな」 「そうだっけ?」 「もう一回お願いします」 「なにそれ」  唇を突き出してふざける仁紀さんを肩でこづきながら、海岸線をじゃれ合うように歩く。  暗い海に浮かぶ月明かりは、僕達の進む道を照らす一筋の光のように見えた。
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