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「ほんとに荷物それで全部なの?」
「そうだよ、なんか文句ある?」
「いや、ないけどさ。買い足すところあるのかなぁって」
「足りなかったらメールするから送ってよ」
「行き当たりばったりだなぁ仁紀さんは」
「なんとかなるって」
「部屋はちゃんと片付けてね、あと自炊もしっかり」
「はいはい。あ、搭乗時間だ。じゃあ行ってくるな」
「行ってらっしゃい」
「おう!」
仁紀さんはヒョイと手を振り、ゲートに消えて行った。
心配する方の気も知らないで。別れ際の会話を思い出して僕は苦笑する。
県営空港から鹿児島に向かう仁紀さんを見送りに来た帰り道。僕は再び自分の住む街へと戻っているところだ。
頭上を飛んでいくのは、仁紀さんを乗せた飛行機だろうか。初夏の匂いがする空はどこまでも高く青い。僕は空を仰いで、目を細めた。
ねぇ仁紀さん。僕は貴方が育ったこの街が好きだから、実を結んだ花からまた新しい種が生まれるように頑張るつもりだ。
仁紀さんが、その力を誰かの為に役立てようとしているのと同じように。
仁紀さんが離島プロジェクトに参加してから、僕達は遠距離恋愛を続けていた。
僕は新しい事務所の責任者として忙しく過ごしながらも、年に数回は仁紀さんのいる離島を訪れた。仁紀さんの方はと言えば、交代できる医師や看護師がなかなか集まらない状況の中、ほぼ年中無休で走り回っていた。
「まあ覚悟の上だけどな。そのつもりで来たわけだし」
んー、でもハルに会えないのは辛い……
僕が島を訪れる数日間、束の間の逢瀬。仁紀さんは僕の膝にゴロリと横になると、そんな弱音を吐いたりもした。頼り甲斐があって人当たりの良い仁紀さんの、こんな顔を知ってるのは僕だけだと嬉しくなる瞬間。
「どうしたの、そんな弱気になって」
「弱気とかじゃねぇよ。甘えてるだけ」
ああ、ハルの顔みたら元気出た。明日から頑張ろ。
そんな風に言ってくれるこの人の手を、もう二度と離さないと僕は決めている。
──それから数年後。
「臼井先生、こんなお知らせ来たんだけど、還付金貰うのにわざわざ新しい口座作らんといかんの?」
「わっ大木さん、それ振り込め詐欺ですよ!」
「ええ!?先生何とかしてー」
「有賀先生、孫が歯が痛いって泣き出したんだわ。診てくれない?」
「ともくんの方?じゅんくんの方?」
「ともやだわ」
「すぐ行く」
坂道だらけの島の中は原付で移動するのが便利だ。
仁紀さんの原付のキーには僕の携帯番号が刻印されたキーホルダー、僕のには仁紀さんの今の携帯番号が刻まれたキーホルダーが付いている。
僻地診療を一生続けて行くと決めた仁紀さんは、志願してそのまま離島に歯科診療所を開いてしまった。まさしく有言実行だ。手伝ってくれる看護師さんも毎日は来れないため、未だに孤軍奮闘で頑張っている。
僕は、長い間お世話になった事務所を退職し、個人事務所を立ち上げた。何年も考えた結果、新しい夢を追う事に決めたのだ。
あの街で為すべき仕事は果たしてきたつもりだ。山崎さんからは、
「なんで有賀も臼井君もいなくなっちゃうの!」
なんて泣きつかれてしまったけど、大丈夫。あの街には、新しい種が次々に芽を出し花開いている。
仁紀さんのところへ行く、という新しい夢。
仕事自体は本土で請け負うけど、生活の拠点は仁紀さんのいる離島だ。ネット環境さえなんとかなれば、本土との行き来はそう問題ではない。
前の事務所の上司からも応援してもらいながら、少しずつ環境を整えてきた。
「ハル、なんで、おまえ……ッ?」
「あはは、来ちゃった」
リュックひとつでフェリー乗り場に降り立った時の仁紀さんの驚いた顔と言ったら、写真に撮っておきたいほどだった。なにせ、仁紀さんには何も伝えずに来てしまったから。
離島でも僕みたいな職業は何かと重宝されている。受け入れてもらえたのは有難かった。慣れない離島生活ではあるけど、仁紀さんの傍ならすべてが楽しい。
「大木さんなんか慌ててたけど、大丈夫だった?」
「うん、最近多いんだよ還付金詐欺。振り込む前に気付いてよかった。仁紀さんの方は?もう今日は往診無いの?」
「まあ大丈夫だろ。ともや大泣きしてたけど、もうケロっとしてるわ」
「ははは」
お互いの仕事が終わった後、夜の海辺を歩くのが今の僕達の日課だ。仕事で起こった出来事、仕入れてきたニュースなんかを話しながら、二人で静かな夜の海を眺める。
誰もいない道を手を繋ぎながら歩いて、自宅に戻り、明日に響かないくらいのアルコールを飲んで、キスをして、お互いの体温を感じながら眠る。
初めて会った時から十年以上経った。
「オレが死んだら財産管理、宜しくな」
「残念ながら管理するほど財産ないけどね」
「言うよなぁハル……」
「明日も頑張って働こう」
大丈夫。もう離れない。仁紀さんは僕を幸せにするし、僕は仁紀さんを幸せにする。
その夜僕は、花びらの舞う夢を見た。
二章 終
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