フィクション

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 夜眠りに就く前、私は大学ノート一ページぶんの日記を書く。ベッドに入ったらすぐ書きだせるように、ノートは分厚いマットレスの下に忍ばせている。宅配便の人が胸ポケットに挿しているようなありふれた黒のボールペンと、青緑の細いカラーペン、2Bのちびた鉛筆がノートに挟んであってその日の気分によって使い分けることにしているが、べつに誰かの目に触れるわけではないから字はとにかく汚い。罫線の上をのたくった文字が、びっしりとページを埋めている。幼児の落書きか不気味な幾何学模様か、あるいは鬱蒼と茂る森の木々の葉みたいに。  頭の中に浮かんだことを写しとるように、気が済むまでただ書きつけていくうちに、甘い陶酔が体内をめぐる。溜まった一日分のわだかまりを、そうしてペンのインクに乗せて一文字ずつ成仏させると、文字の分だけ不要なものが世界に向かって染み出て、私は白紙に戻っていくような気がした。日記を書き終わると私はようやく安心して眠りに就くことができる。 「書く力がつくから」そう言って母が真新しい日記帳を買ってきたのは私が小学四年生のときだから、かれこれ一八年間休まず(もちろんたまには休むけれど)白いページを文字でいっぱいにしてきた。若い頃のノートは実家の押入れの奥の方に、母が捨てずに仕舞い込んでいた。結婚してからは、ノートがすべて埋まってしまうと本棚の適当な隙間に差し込んだり、書類の間に放り込んだまま忘れてしまったりする。私でさえ読み返さないのだから取っておいてもしかたないのだけれど、生きていた証のような気がしてなかなか捨てることができないのだった。  私はうつ伏せの姿勢で肘を立て、ゆっくりとページを開いた。今日は深緑のペンを選び、日付を書き込む。切先からインクが滲み出て、少しずつ、紙の上へと乗り移っていく。  だいたい一晩一ページくらいで済むのだが、おいそれとは寝付けないような出来事があった日、例えば患者に謂れのない非難を浴びた日などは、気づけば文字の洪水は数ページにわたっている。その日の出来事に終始する日もあれば、空想を追っていくうちに虚構ばかりで埋め尽くされる日もある。「書く力」とやらがついた気はしないけれど、なにか嫌な思いをしたときに、相手のどこが嫌いなのかよくわかる力はついたような気がする。あるいは、ありもしない架空の話を作り上げる力は。  ノートを閉じ、もとの場所へ忍ばせた。明かりを落としてうつ伏せでしばらくじっとしていると、眠気が天井の方から降りてきて背中を心地よく押した。    朝、目を覚ますと水色のアナログ時計は六時半の少し前を指している。隣にはいつものように夫の寝息があって、寝付く時にはなかった存在が朝にはまたそこへ現れていることに私は胸を撫で下ろす。  平均よりずっと大きな骨格を持つ彼は壁の方を向いて胎児のように丸まっていた。頸から肩の曲線は、古代ギリシャの彫刻のような筋肉を想像させながら少しくたびれた白いTシャツの下へ隠れ、色の濃い産毛が日に照らされて光っている。私は起こさないようにそっと半身を持ち上げた。  群青色の薄手のカーテンからは、明るくなりはじめた外の光が漏れ出して、室内は薄青色に染まっている。日常の風景がふと特別に思えるひと時をしばらく堪能したあと、私はするりとダブルベッドから抜け出した。  私が朝一番にすることといえば、リビングにあるオーディオのスイッチを入れてクラシック音楽のCDを再生することだ。最近は専らオイストラフの奏でるバイオリン協奏曲をシャッフル再生している。私にはどうも良し悪しがわからないのだけれど、オイストラフは他の奏者とは全く違うのだという夫の物言いを鵜呑みにしている。ビブラートの効いたやや篭って重みのある音色が部屋を満たし、寝室へも流れていく。洗面を済ませてキッチンに立ち、二人分のトーストと目玉焼きを準備しはじめたころ、寝室の引き戸が開き巨人がのっそりと顔を出した。 「……はよ」  野太い声で言うと、巨人は近づいてきて私に抱擁と口づけを与えた。嫌な感じはしない。アルパカとか雌牛みたいな、温厚な動物にペロリと舐められたような透き通った喜びが体に染み渡る。無欲な彼はお返しを要求しない。ふふと笑ってほとんど反応せずに目玉焼きを焼き続けても、しばらく首もとに顔を埋めて私の匂いを嗅いでいて気が済むと、いい朝だ、と独り言のようにつぶやいて離れていく。結婚して二年が経つけれど、喧嘩をしたこともないし、煩わしく思ったこともない。いつもどおり、朝にしては少しだけ重苦しいバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」が鳴り響いている。  夫と私は片方にゴミ袋、もう片方に仕事用のカバンを持って、一緒に玄関を出る。美しい彫刻のようだった彼の体は平凡なスーツに包まれ、全体的に縮んだように見える。結婚と同時に借りたマンションから駅までは徒歩十分かかる。最寄駅はかろうじて都心への通勤圏内とあって、駅に近づくにつれ新しいマンションがひしめき合うように建っていた。三分も一緒に歩いたところで私たちは別れる。夫は駅の方向へ、私は駅とは反対方向に向かうバスの停留所へ歩いて行く。それまでゆるく繋いでいた手をほどき、私たちはまたね、と手を振る。もし私たち夫婦のドキュメンタリー映画を撮ったなら、開始三分くらいでお客さんは皆帰ってしまうのではないだろうか、と私は時々思う。  少し歩いたところで、夫が進んでいった方を振り返った。夫の帰りは遅いから、私はきっと今夜も先に寝てしまうだろう。だから今日はもう見納めだ。均整のとれた黒っぽい背中は、イヤホンを取り出して耳に差し込みながら、急ぐでもない足取りで小さくなっていった。
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