4 フォークの話

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4 フォークの話

「墨染 海です。」 男はそう名乗った。 やられてもやられても不屈って感じでやってくるので、俺の心の中では勝手にゾンビと命名していたイケメンは、当然だけどちゃんと人間だった。 いや、…人間、なのか? フォークって…。 「人間だよ。」 その日、俺のバイトが終わるのは22時だったんだけど、墨染はそれに合わせてまたやってきた。 チョコレート色のふわふわした髪に、白い肌。紅茶に蜂蜜を溶かしたようにとろりとした色の瞳。 …コイツがケーキみたいなんだが? 俺はそんな風に思ったが、とりま、聞いた。 「アンタって、フォークってやつなの?」 と。 墨染は頷き、俺を見て喉を鳴らした。おいおいおい…怖。 「人間を食うのか?」 墨染は少し考えて、首を振った。 「人間は食わない。食うのはケーキの子だけだもん。俺は未だ食った事ないんだけど。」 「いや食ってんじゃん。お前らが言うそのケーキだって人間だろ。」 「…まあ、そうだけど。」 「ケーキだからってお前…人権あるからな…? 食ってねえからって、これから食おうとしてたらお前…犯罪者予備軍だからな?」 俺は墨染の腹にワンパン鉄拳制裁で、その間違った認識を正す。 墨染はごめんなさい、と嘔吐きながら何故か恍惚としながら俺を見た。怖怖。 「つぅかさ。」 俺は1番聞きたかった核心に触れる事にした。 「お前らフォークには、俺達がどう見えてんの?」 墨染は俺をキラキラした目で見つめながら、 「とってもとっても甘くて美味しそうに見えるよ。 何処もかしこも甘い匂いがする。」 と、ニコニコして言った。 「でも、そう見えてるのは俺みたいなフォークって連中だけみたいだけど。」 墨染は、顎に手をあててそう言った。 そりゃそうだろうな。皆に美味そうに見えてたらケーキなんつー奇妙なバースが未だにポツポツいるわきゃねえわ。産まれたそばから食われてとっくに絶滅してるだろ…。 墨染は、数年前のとある災害で家族を失ったストレスから味覚障害を患ったのだという。 それからずっと何を食べても匂いも味もしない。紙か砂を噛むような、苦痛な食事。それで一時は食事を取れなくなり、摂食障害に迄なった。 このまま朽ちて死んでいくんだなあ、とぼんやり考えていた時、ある子供に出会った。 その小学校低学年くらいの少年は、甘い匂いを漂わせながら、学校帰りの墨染と時々すれ違った。 彼の匂いを嗅いだ日の夜だけは、味の無い食事が少しはマシに食べられた。 多分、食欲中枢が刺激されたんだと思う、と墨染は言った。 とにかく、その少年の細い手足や小さな顔や、揺れる髪の一本一本迄もが、甘いクリームのような誘惑だった。 元々甘党だった墨染には、この上無いご馳走に見えたが、その頃はフォークやケーキというバース性を知らなかった墨染は、自分がカニバリズム願望を持つ異常者なのかと悩んだという。 墨染は自分の中にふつふつと湧き上がるその願望を、危険なものだという認識だけがあった。まともだ。 その内、何故かその少年を目にする事も無くなり、再び重度の摂食障害に悩まされ出した墨染は、精神科の門を叩いた。 その時やっと、自分がフォークである事を知った。 あの少年が、おそらくケーキという特異なバース性を持った人間であったであろう事も。 その時頭を過ぎったのは、果たしてあの少年は無事でいるのだろうか、という事だったと。 自分は、何も知らなかったが故に、僅かな飢餓感が逆に食欲増進に繋がったけれど、他のフォーク達はそうではないかもしれない。 甘い匂いを放つ少年を前に完全な飢餓感に支配され、本当に喰らってしまっても不思議はない。 特に、既に一度、ケーキの血肉の味を覚えてしまっていたら…。 そう聞いて、俺はガキの頃からの数々の奇妙な大人達との遭遇を思い出し、今更ながら背筋が寒くなる思いがした。 一番捕食し易いあの頃。 空手をやってなければ、多分俺は今頃ここにこうしてはいなかったんだろう。 目の前の墨染という男は、俺の天敵なんだと実感した。
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