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エピローグ
「警戒アラート、警戒アラート。ロシア帝国連邦がモンゴルへ核攻撃を行ったとの速報が入りました。住民は速やかに避難してください」
わたしの放送を聞くや否や、人びとがいっせいに誰の住居でもかまわず対放射線ヘルメットをかぶりながら突っ込んでいくさまは、何年経っても変わらない。〈灰かぶり世界〉の風物詩といえるだろう。
そんな一人が〈アーミテイジ・ジュニア電源開発信用通貨会社〉の事務所へ駆け込んできた。まだ生まれたてみたいな子どもで、身長は1インチあるかどうか。かつてのわたしを彷彿とさせる、そんな少年だった。彼はタコ頭――幼少期の呼び名は案外改まらないものだ――をもぎ取り、大きく息を吐いた。「これかぶってるとさ、自分の息の臭さに嫌気が差すんだよな」
「人の家へ無断でしけこんどいて、開口いちばん口臭のお悩み相談とは恐れ入ったな」
季節は冬、われわれは暖のとれるリアクター・ルームでくつろぐことにした。
「なあおっさん」と憎たらしいガキ。「なんでおっさんはタダみたいな値段でみんなに電気を売ってんだい。よその民間裁判所実効支配エリアみたいにもっと高くすりゃ大儲けじゃん」
わたしは目を浅く閉じ、鼻からゆっくりと息を吐きだした。「おまえさんが生まれるよりもずっと前、この怪物機械をいちから作った天才がいた」
ガキは目を輝かせている。むかし話が大好きなのだ。
「その人はぼくの父親代わりであり、恩師であり――なにより無二の親友だった」
「名前はなんての?」
「そりゃもちろん、アーミテイジ・シニアに決まってる」
少年の顔に理解の色が浮かんだ。
「彼は夢を持ってたんだよ、坊主。みんなに電気がいき渡る世の中を実現するだなんて息巻いてた。みんなが電気を使えればアイデアが集まる。それがいずれは積もり積もって文明復興の原動力になるとかいう乙女チックな話なんだ、笑えるだろう」
少年は頭の上で手を組み、落ち着かなげに体重を片方からもう片方へ移し替えている。「どこが笑えるのかもわかんないな。でもあんたが親父さんの夢を叶えたってことはわかる。いまじゃこのへんを仕切る民間裁判所経営者のなかじゃ最右翼だって言われてるんだし」
「いや、まだだ。相変わらず庶民は貧しいし、暴力沙汰も珍しくない。前〈灰かぶり世界〉の水準に戻るまで依然、何十年もかかるだろう。そのためには電気文明を誰かが維持しなければならない」
「誰かって誰さ?」
わたしは少年の肩をがっしりと掴んだ。「坊主みたいな若い世代がやるんだ」
「おっさんまだ30歳くらいだろ、あんたが当分はやればいい話じゃないのかい」
「ぼくはもう長くない。白血病に罹ってるんだ。若いころに放射線を浴びすぎたツケが回ってきたんだろうな」
少年は傍目にもうろたえていた。「アーミテイジ、死んじまうのかよ?」
「もって数か月だろうな――そう悲しそうな目をするな、らしくないぞ」
「だってさ……」
「おまえに頼みがある。このラボを引き継いでくれないか」
沈黙が下りた。少年は口を半開きにしたまま目をしばたいている。
「はっきり言う。リアクターの原理をちゃんと理解するには研究しなきゃならん。それも何年も、ことによると生涯ずっと」
「人選ミスだぜ。まあそこらの仲間に比べりゃ、九九どころか分数の割り算までできる天才児かもしんないけどさ」
「四則演算ができれば十分だ。あとは根気と向上心。ぼくが死ぬまではつきっきりで教えてやる」気安く背中を叩いてやった。「坊主はいままで授かる側だった。今度はおまえが世の中に授ける番だ」
少年は慎重に言葉を選んでいるようだ。「なんで世の中なんかのためにがんばんなきゃなんないんだよ?」
「幸せの単位を1ハッピーだとする。坊主一人が幸せなら、総量は1だな」
「あんたがそう言うなら」
「坊主は幸せの総量がマイナスのギスギスした世界か、幸せが降り積もってプラスになった居心地のいい世界かどっちがいい」
「そりゃあとのほうだけど」
「決まりだな」
わたしは右手を差し出した。少年もおずおずと左手を差し出す。力強い握手。
だしぬけに情報端末がニュースを傍受したときのアラームが鳴り響いた。それによるとまたぞろ北米連合がキューバ条約圏へ核攻撃をやらかしたらしい。書き入れどきだ。
「坊主、ほやほやの死の灰が降ってくるぞ」彼の顔が輝きを取り戻した。「ついてこい、良質な燃料の見分けかたを教えてやる」
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